6月9日は、エレキ・ギターの名器「ギブソン・レスポール・モデル」の作者、レス・ポールが生まれた日(1915年)だが、漫画家、青木雄二の誕生日でもある。マンガ「ナニワ金融道」の作者である。
自分が「ナニワ金融道」を読んだのは、この大ベストセラーが完結しかけているころで、時流からずいぶん遅れていた。ある喫茶店で、ひとりでご飯を食べたとき、手持ち無沙汰から、その店にあった「ナニワ金融道」の第一巻をとって開いてみた。読みはじめた。すると、もう、止まらなかった。強烈な魅力がそこにあった。
青木雄二は、1945年、京都の加佐郡で生まれた。父親は水道局に勤める役人で、雄二は、四人きょうだいの、ひとりだけ年の離れた末っ子だった。雄二が13歳の年、彼の中学入学と、父親の定年退職を機に、一家は岡山県久米郡へ引っ越した。
雄二は工業高校を卒業後、鉄道会社に入社。5年後、学歴による職場の差別に嫌気がさして退社。その後、役場の公務員、パチンコ屋の店員、キャバレーの店員、デザイン会社勤務など職業を転々とした後、30歳のとき、独立して、ひとりでデザイン事務所を開設。不動産の建て売りの広告作りを柱とする事業は順調で、従業員を雇ったが、人を雇うことでかえってロスが大きくなり、会社を整理。
ひとりにもどって再出発した後、44歳のとき、出版社のマンガ賞に応募した作品「50億円の約束手形」が佳作に入選。続いて、45歳のとき「彼岸と此岸の間で」で準入選。
これをきっかけにに青年マンガ週刊誌に「ナニワ金融道」でデビュー。この作品は、大阪の町の金融会社を舞台にした斬新なテーマ、個性的な作風で、たちまち読者の大人気を呼んだ。当初5回掲載という約束だったところ、連載化が決定。連載はそれから7年続き、シリーズは1000万部部を超す大ベストセラーとなった。
52歳の年、すでに一生暮らせるだけの金は稼いだ、として、引退を宣言した。が、その後も、講演や執筆の依頼はひっきりなしにつづき、事実上、遊んで暮らす引退生活は実現できなかった。2003年9月、肺ガンにより没。58歳だった。
青木雄二のマンガ作品は、自分は全部読んでいると思う。評論やエッセイもかなり読んできていて、いまでも何冊か持っている。自分は、漫画家としてよりも、むしろ、文章家としての青木雄二のファンなのだろう。
青木雄二という人は、社会を渡って苦難をなめてきた苦労人である。だから、霞が関のエリート官僚や、IT企業の若い役員が語るのとは、おのずと味わいがちがうし、ありがたみがちがう。彼はこんな文章を書いている。
「高校を卒業して二十五年もの長い間、貧乏との縁が切れなかった僕が、こうして悠々自適の余生を送れるのは、どんな状況にあっても、夢だけは捨てへんかったからやろな。
友達がいなくても、お金がなくても、僕はどんなときでも自分というものを信じていた。
昨日が駄目でも今日がある。今日が駄目でも明日がある。決して絶望することはない。
大切なのは、自分の気持ちが前を向いているかであり、そのための努力をしているかや。
かつての僕のように、絶望的な状況の中で、苦しんでいる人たちにいいたい。
夢をあきらめるな、と」(『ナニワ青春道 出世篇』河出文庫)
いいことを言ってくれる人だった。
(2013年6月9日)
●おすすめの電子書籍!
『6月生まれについて』(ぱぴろう)
青木雄二、本田圭佑、太宰治、ポール・マッカートニー、ケインズ、マリリン・モンロー、アンジェリーナ・ジョリー、ゲバラなど6月誕生の30人の人物論。ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。6月生まれの宿命を解明。
http://www.meikyosha.com/ad0001.htm
自分が「ナニワ金融道」を読んだのは、この大ベストセラーが完結しかけているころで、時流からずいぶん遅れていた。ある喫茶店で、ひとりでご飯を食べたとき、手持ち無沙汰から、その店にあった「ナニワ金融道」の第一巻をとって開いてみた。読みはじめた。すると、もう、止まらなかった。強烈な魅力がそこにあった。
青木雄二は、1945年、京都の加佐郡で生まれた。父親は水道局に勤める役人で、雄二は、四人きょうだいの、ひとりだけ年の離れた末っ子だった。雄二が13歳の年、彼の中学入学と、父親の定年退職を機に、一家は岡山県久米郡へ引っ越した。
雄二は工業高校を卒業後、鉄道会社に入社。5年後、学歴による職場の差別に嫌気がさして退社。その後、役場の公務員、パチンコ屋の店員、キャバレーの店員、デザイン会社勤務など職業を転々とした後、30歳のとき、独立して、ひとりでデザイン事務所を開設。不動産の建て売りの広告作りを柱とする事業は順調で、従業員を雇ったが、人を雇うことでかえってロスが大きくなり、会社を整理。
ひとりにもどって再出発した後、44歳のとき、出版社のマンガ賞に応募した作品「50億円の約束手形」が佳作に入選。続いて、45歳のとき「彼岸と此岸の間で」で準入選。
これをきっかけにに青年マンガ週刊誌に「ナニワ金融道」でデビュー。この作品は、大阪の町の金融会社を舞台にした斬新なテーマ、個性的な作風で、たちまち読者の大人気を呼んだ。当初5回掲載という約束だったところ、連載化が決定。連載はそれから7年続き、シリーズは1000万部部を超す大ベストセラーとなった。
52歳の年、すでに一生暮らせるだけの金は稼いだ、として、引退を宣言した。が、その後も、講演や執筆の依頼はひっきりなしにつづき、事実上、遊んで暮らす引退生活は実現できなかった。2003年9月、肺ガンにより没。58歳だった。
青木雄二のマンガ作品は、自分は全部読んでいると思う。評論やエッセイもかなり読んできていて、いまでも何冊か持っている。自分は、漫画家としてよりも、むしろ、文章家としての青木雄二のファンなのだろう。
青木雄二という人は、社会を渡って苦難をなめてきた苦労人である。だから、霞が関のエリート官僚や、IT企業の若い役員が語るのとは、おのずと味わいがちがうし、ありがたみがちがう。彼はこんな文章を書いている。
「高校を卒業して二十五年もの長い間、貧乏との縁が切れなかった僕が、こうして悠々自適の余生を送れるのは、どんな状況にあっても、夢だけは捨てへんかったからやろな。
友達がいなくても、お金がなくても、僕はどんなときでも自分というものを信じていた。
昨日が駄目でも今日がある。今日が駄目でも明日がある。決して絶望することはない。
大切なのは、自分の気持ちが前を向いているかであり、そのための努力をしているかや。
かつての僕のように、絶望的な状況の中で、苦しんでいる人たちにいいたい。
夢をあきらめるな、と」(『ナニワ青春道 出世篇』河出文庫)
いいことを言ってくれる人だった。
(2013年6月9日)
●おすすめの電子書籍!
『6月生まれについて』(ぱぴろう)
青木雄二、本田圭佑、太宰治、ポール・マッカートニー、ケインズ、マリリン・モンロー、アンジェリーナ・ジョリー、ゲバラなど6月誕生の30人の人物論。ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。6月生まれの宿命を解明。
http://www.meikyosha.com/ad0001.htm