4月26日は、ロマン派絵画の巨匠、ドラクロワが生まれた日(1798年)だが、オーストリア出身の哲学者、ウィトゲンシュタインの誕生日でもある。
自分がいちばんよく読んできた哲学書は、ウィトゲンシュタインである。30代のころから読み出して、一時は大修館の全集を全巻そろえてもっていた。かさばる全集は引っ越しの際に断腸の思いで手離したが、いまでもウィトゲンシュタイン関連の書はたくさんもっている。どうしてもときどき読みたくなる著者のひとりで、その名前の響きから、その人となり、生きざま、書いた文章まで、自分にとってはすべてが魅力的でまぶしい。彼の言わんとするところを理解しているとはぜんぜん思わないけれど、ずっと愛読者だったし、これからもずっと愛読者でいつづけると思う。

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨハン・ウィトゲンシュタインは、1889年に、オーストリアのウィーンで生まれた。名前からわかる通り、ユダヤ系で、ただし彼はユダヤ教徒でなく、洗礼を受けたカトリックだった。
父親は、オーストリアの鉄鋼王で、ルートヴィヒは、4人の兄と、3人の姉をもつ、いちばん末っ子だった。
14歳まで家庭で教育を受けたルートヴィヒは、リンツの高校へ入ったが、そこの同学年の生徒にアドルフ・ヒトラーがいた。
高校卒業後、17歳で工科大学へ入学。大学では、モーターやプロペラなど飛行機関連の研究をしていた。
23歳の年に、英国ケンブリッジ大学に入学。5学期をすごした。ケンブリッジ在学中に父が没し、ウィトゲンシュタインは莫大な財産を相続した。彼は相続した資産の一部を、オーストリアの芸術家の助成基金に寄付した。この寄付の恩恵にあずかった詩人にリルケがいる。
英国を出たウィトゲンシュタインは、ノルウェイの人里離れた山中に小屋を建て、そこに引きこもってひとり思索して哲学論文を書いた。それが『論理哲学論考』の原稿だった。
1914年、25歳のとき、第一次世界大戦がはじまると、ウィトゲンシュタインはヘルニアのため、兵役を免除されていたのを、志願してオーストリア軍に加わった。戦闘にでた後、イタリア軍の捕虜となった彼の背のうには、『論理哲学論考』の原稿が入っていた。彼は哲学論文の草稿を肌身離さず抱えて戦場を走りまわっていたのだった。
戦後、捕虜の身から釈放されてウィーンに帰ったウィトゲンシュタインは、相続した遺産をすべてきょうだいに譲り、無一文になった。これは、大戦中に読んだトルストイに大きく影響を受けてのことだと言われる。30歳のときのことだった。
貧乏になった彼は、小学校の教師をしたり、修道院の庭師をした。
そして32歳のとき、『論理哲学論考』を出版。これによって、哲学の問題をすべて片づけてしまった彼は、哲学の世界から遠ざかった。姉の家の設計などをしていた後、39歳のとき、数学の講義を聴いて、急に哲学の世界に帰る決意を固め、40歳のとき、英国ケンブリッジ大学へもどった。
以後、ケンブリッジで教鞭をとり、58歳のときに退任するまで教授職にあった。
1951年4月、ケンブリッジで前立腺ガンのため、没した。62歳だった。

自分がウィトゲンシュタインにひかれるのは、彼が知性的であるからなのはもちろんだけれど、おそらくそれと同時に、彼が強い意志をもって人生を歩んだ人であり、彼に禁欲的な感じ、悲劇的な感じがあるからでもあると思う。

ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』でやろうとしたことは、すこしカントに似ている。
カントは、それまでの哲学とはがらりと考え方を変えて、世界にある物を分析するのでなく、人間の認識の仕方を考えていくことによって、どこまで哲学が組み立てられるかという哲学の範囲の限界線を引いて見せた。これがいわゆる「コペルニクス的転回」である。
これに対し、ウィトゲンシュタインは、言語というものの性質を考えていくことによって、哲学の範囲の限界線を引いて見せた。
『論理哲学論考』は、こんな命題ではじまる。
「世界は成立していることがらの総体である」
そして、こういう命題で終わる。
「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(『論理哲学論考』岩波文庫)

ウィトゲンシュタインという人は、生涯にわたり一貫して「言語」「ことば」というものについて考えつづけた人だった。
そのストイックな悩みぶりに、まず心ひかれるものがある。
そして、彼の、立ち止まって考え、また立ち止まっては考えして、書きとめていったことばに、また心をひかれる。それらは、たとえば以下のようなものである。

「一枚の白い紙が青空からその明るさを受けとっている様子が描かれている絵のなかでは、青空はその白い紙よりも明るい。しかし別の意味では青の方が暗い色であり、白の方が明るい色である(ゲーテ)。パレットの上では白がいちばん明るい色である」(ウィトゲンシュタイン『色彩について』新書館)

「中国人がしゃべるのをきくと、わたしたちはそれを、ガラガラゴロゴロという、分節化されていないうがいの音かと思ってしまう。中国語のわかる人がきけば、それは言語であるとわかることだろう。わたしはしばしば、人間のなかに人間の姿をみつけることができない」(ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』青土社)

ほんの一、二行読むだけで、たちまち、自分の頭や心のあちこちの部分が刺激を受けて、そこの細胞が急に活発に活動しはじめる。そんな知的カンフル剤の詰まったエキスのような文章は、ウィトゲンシュタイン以外に、そうはない。
(2013年4月26日)



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