1月23日は、フランスの作家、スタンダールの誕生日。
あの『恋愛論』『赤と黒』『パルムの僧院』の作者、スタンダール。「書いた、愛した、生きた」スタンダールである。
自分は、スタンダリアンではないけれど、『パルムの僧院』はもっとも好きな小説のひとつである。
小説というのは、結局『パルムの僧院』にとどめをさすのかもしれない、と、ときどき思う。
スタンダリアンの大岡昇平はもちろん、谷崎潤一郎も、小林信彦も、バルザックも、みんな『パルムの僧院』を絶賛している。
否、誰がほめているとかは関係なく、自分はあの小説が、どうしようもなくなつかしいのである。
ずっと以前、『パルムの僧院』を文庫本で読んで、とても感銘を受けた。
でも、長い話だし、ほかに読むべき本もたくさんあり、読み返すことはないだろう。万が一読み返したくなったとしても、これだけの世界的名作はかならずどこの図書館にも並んでいるから、借りにいけばいいのだから。と、そう考えて、引っ越しの際に、部屋に入りきらなくなった本といっしょくたにして古書店に売り払ってしまった。
でも、いざ、あの文庫本がないとなると、さびしい。
そんなにしょっちゅう読み返すわけでもないくせに、ないと思うと、さびしくてたまらない。
それで、また買って、本棚においてある。本の背をながめると、主要登場人物のファブリス、サンセヴェリーナ侯爵夫人、モスカ伯爵などのことを旧友のように思いだし、なつかしくなる。
谷崎潤一郎は、とくにモスカ伯爵の人物造形をほめていた。自分もモスカ伯爵は好きだけれど、やはりサンセヴェリーナ侯爵夫人の魅力がまぶしくてたまらない。

スタンダール(本名、マリ=アンリ・ベール)は、1783年1月23日、フランスのグルノーブルに生まれた。父親は弁護士だった。
フランス革命がはじまったのが、スタンダールが6歳のとき。
青年となったスタンダールは、陸軍に入り、ナポレオンのイタリア遠征に参加した後、退役。
官僚、ジャーナリスト、在イタリアのフランス領事などをしながら、小説や評論を書いた。
39歳のとき、『恋愛論』を発表。
47歳のとき『赤と黒』。
そして56歳のとき『パルムの僧院』を発表。
現在でこそ、スタンダールといえば世界文学の最高峰のひとつとして、全世界で読まれているが、スタンダールの生前は彼の本はまったく売れなかった。その売れなさかげんは、もう伝説的で、1年間で売れたのが3部とか、5部とか、それくらいの数字だったと、どこかで読んだことがある。
1842年3月、パリで没。59歳だった。
墓はパリのモンマルトルにあり、墓碑銘は
「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」
と刻まれている。
生粋のフランス人なのだけれど、こよなくイタリアを愛し、イタリア人になりきりたかった人だった。

友人だったメリメによると、スタンダールは、そこに女性がいるのなら、とにかく口説いてみるのがすべての男にとっての義務である、と考え、それをつねに実行していた人物らしい。メリメも、好きな女性がいるなら、とにかく彼女をものにしたまえ、とけしかけられたという。(「スタンダール」『メリメ全集 6』河出書房新社)
この辺は、まさにイタリア人気質そのもので、スタンダールの異性に対する積極性がよくうかがえる挿話である。

ずっと昔、大学生だったころ、自分が所属していた西洋史学科の主任教授は、川口博教授というネーデルランド史の権威で、ヨーロッパ通の先生だった。
その先生に、自分はあるとき、こんな風に尋ねてみたことがある。
「先生、イタリアでは、男女のカップルがデートしていても、いつもべったりくっついて、しょっちゅうキスしていないといけなくって、ちょっとでも離れると、すぐにそこにいる男が『そいつよりおれのほうがいいぞ』と口説きはじめるというのは、ほんとうですか?」
友だちから聞いていたイタリア事情を、そのままぶつけてみたのだが、すると、先生は笑って、こういった。
「そうだなあ。イタリアには、きみみたいのが、たくさんおるからなあ」
スタンダールというと、そんなことも思いだされる。
(2013年1月23年)


著書
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』

『出版の日本語幻想』

『ポエジー劇場 子犬のころ2』