6月11日は、女優の新垣結衣(1988年)が生まれた日だが、作曲家リヒャルト・シュトラウスの誕生日でもある。
リヒャルト・ゲオルク・シュトラウスは、1864年、独国(当時はバイエルン王国)のミュンヘンで生まれた。父親は、ミュンヘンの宮廷歌劇場の首席ホルン奏者だった。
幼いころから父親に音楽教育を受けたリヒャルトは、6歳で作曲をはじめ、父親の働くオペラ劇場に出入りし、副指揮者から音楽理論や管弦楽法を教わった。
8歳からヴァイオリンのレッスンを受け、10歳のとき、はじめてワーグナーの歌劇「タンホイザー」と「ローエングリン」を聴き感銘を受けた。しかし、保守的な父親はワーグナーを嫌い、リヒャルトは16歳になるまでワーグナーの楽譜を手にできなかった。
18歳の年に、彼が書いたヴァイオリン協奏曲が初演され、同じ年、彼はミュンヘン大学に入学し、哲学と芸術史を学んだ。が、1年後には、ベルリンへ越して、オーケストラの副指揮者になった。以後、指揮者としてオーケストラを率いながら、作曲を続け、交響詩「ドン・ファン」「死と変容」「ツァラトゥストラはかく語りき」、歌劇「サロメ」「ばらの騎士」「インテルメッツォ」、「アルプス交響曲」などを書いた。
1933年、ヒトラーが首相になったとき、シュトラウスは69歳だった。ナチス政権下、彼は第三帝国の音楽院総裁の地位にあり、ひとり息子の嫁がユダヤ人というむずかしい立場にあったが、戦時をなんとかしのいで終戦を迎えた。戦後は、ナチ協力者としての非難も浴びた。結局、裁判では無罪となった。ちなみに、日独伊三国協定のからみで、シュトラウスは76歳のころ、日本のために「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」を書いている。
1949年9月、シュトラウスはバイエルン州で没した。85歳だった。
リヒャルト・シュトラウスというと、スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で使われた「ツァラトゥストラはかく語りき」がいちばん有名かもしれない。同じ映画のなかで、ヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」も使われていたが、リヒャルトとヨハン、二人のシュトラウスに血縁関係はないそうだ。
リヒャルト・シュトラウスは、30歳のとき、パウリーネ・デ・アーナというソプラノ歌手と恋に落ちて結婚した。この結婚相手は、かんしゃく持ちで、ずけずけものを言い、おしゃべりで、常軌を逸したところがある変わり者として有名な女性だった。日々の暮らしのなかでは、いろいろくたびれることも多かったにちがいないが、この妻のおかげで、シュトラウスは芸術的な刺激を受け、創造の泉を枯らすことなく生涯作曲を続けた。
この辺、ソクラテス、ダリ、ジョン・レノンに似ている。一歩下がって夫を立て、夫を陰から支える女性は妻の鑑と言われるけれど、そういう「いい女房」を持ってしまうと、男は鋭い創造性を保ちつづけるのはむずかしいのかもしれない。
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯(Ein Heldenleben)」が好きで、冒頭、大空をタカが飛翔するような颯爽としたテーマからはじまり、恋、困難など人生の苦闘を乗り越えていく英雄の生涯を表現した楽曲はいつ聴いても気持ちが高揚する。
(2025年6月11日)
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