8月26日・ラヴォアジエの頭脳 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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8月26日は、詩人アポリネールが生まれた日(1880年)だが、化学者ラヴォアジエの誕生日でもある。質量保存の法則を発見した「近代科学の父」である。

アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエは、1743年に仏国パリで生まれた。父親は裕福な弁護士だった。アントワーヌが5歳のとき、母親が没し、彼は莫大な遺産を相続した。
彼はパリ大学の法学部に進み、21歳で弁護士の試験に合格、高等法院の弁学士になった。
法律を専攻しながら、ラヴォアジエは学生時代から地質学、鉱物学、化学、天文学などを積極的に学び、地図の作成に協力したり、各地の石膏の比較研究をしたりしていた。
23歳のとき、フランスの科学アカデミーが「都市の街路にもっとも適する夜間照明の方法」という懸賞論文に応募し、一等を受賞。ルイ15世から金メダルを授与された。
24歳の若さで科学アカデミーの会員となったラヴォアジエは、国王に納める税金を市民から取り立てるという徴税請負人の仕事をはじめ、この仕事から得られる高収入を自分の実験費用にあて、化学実験を繰り返した。そうして、正確な実験により、当時信じられていた学説をつぎつぎと打ち破り、新しい科学理論を打ち立てた。
27歳のころ、お金を支払って貴族となったラヴォアジエは、28歳で同じ徴税請負人仲間の娘と結婚。30歳のとき、化学反応の前と後とで質量は変化しないことを実験で証明し、「質量保存の法則」を発見した。
32歳の年に火薬硝石公社の火薬管理監督官となり、そこに多くの化学者を集めて、さまざまな実験をおこなった。
1789年、46歳のラヴォアジエは『化学原論』を出版し、現在の元素表に相当する物質のリストを発表した。それより長く、この本はヨーロッパの科学の教科書となったが、同じ年、バスティーユ監獄が襲撃され、フランス革命がはじまった。
50歳のとき、ラヴォアジエは革命政府によって指名手配され、自首した。市民から税金を取り立てる徴税請負人としてて憎まれた彼は革命裁判所で有罪とされ、1794年5月、35分間に26人の首が切り落とされるという流れ作業のギロチンの犠牲者のひとりとなった。50歳だった。同時代の科学者は、
「この頭を切り落とすのは一瞬だが、これと同じ頭脳が現れるに、人類は百年は待たなければならないだろう」
と嘆いた。

その昔、米国の3大財閥の一角、デュポン家のことを調べていて、ラヴォアジエにぶつかった。火薬実験室でラヴォアジエが教えた弟子のひとりがエルテール・デュポンで、デュポンは騒乱のフランスから米国へ逃げだし、新大陸で師ラヴォアジエから教わった火薬技術を生かして弾薬生産会社を創業し、兵器産業のデュポン財閥を築いた。

また、英国の科学者ジョン・ドルトンの伝記を読んでいて、同時代の科学者ラヴォアジエに行き当たった。ラヴォアジエは若くしてヨーロッパ中に名を知られた華やかな天才科学者だったが、革命騒ぎに巻き込まれて処刑されてしまった。一方、ドルトンはおよそ派手とは縁のない、地道な観測を続け、生涯独身を通し、地味ながら穏やかな人生を送った科学者だった。二人はとても対照的で、この対照にいろいろ考えさせられる。
(2016年8月26日)



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