7月19日・エドガー・ドガの青 | papirow(ぱぴろう)のブログ

papirow(ぱぴろう)のブログ

Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

7月19日は、映画監督、黒沢清が生まれた日(1955年)だが、画家のエドガー・ドガの誕生日でもある。「踊り子」の画家である。

エドガー・ドガこと、イレール・ジェルマン・エドガー・ドガは1834年、フランスのパリで生まれた。ドガの祖父は、もともとパリのパン屋の息子として生まれ、成長して穀物取引所で投機をしていた。しかし、フランス革命の混乱のなかで、反革命的だと命を狙われだし、間一髪でイタリアのナポリに逃げ延びた。そしてナポリで株式仲買人として成功し、銀行を設立した。そのナポリの銀行のパリ支店を任されたのが、エドガーの父親だった。エドガーは5人きょうだいのいちばん上だった。
銀行家の父親は、長男のエドガーを跡取りとして期待したが、エドガーは中学を卒業すると、ルーヴル美術館での模写の許可を得て、毎日通って名作の模写に没頭しだした。いったんは大学の法科に入ったが、模写を続け、ある日、父親にこう宣言した。
「もう、法律の勉強をつづけることはできない」
エドガーは、21歳のころ「グランド・オダリスク」を描いた新古典主義の画家アングルに会った。アングルは、自分を崇拝している若い画家を励まし、こうアドバイスした。
「線を描きなさい……。線をたくさん描くんです。記憶にもとづいてもいいし、実物を前にしてもいい」(ポール・ヴァレリー著、清水徹訳『ドガ ダンス デッサン』筑摩書房)
ドガはデッサンを山のように描き、それらデッサンの積み重ねの上に作品を描いていった。
3年ほどイタリアで画家の修行をして帰国したドガは、マネと知り合い、モネやルノワールら印象派の画家たちと合流して、印象派展に数多くの作品を出品した。風景や光を描こうとする印象派のなかにあって、ドガの画風はまったく異なり、ドガはもっぱらダンスをする踊り子や、入浴をする裸婦など人物画を描いた。
「ダンス教室」「ダンスのレッスン」「バレエ──エトワール」「浴槽」「入浴後」などを描き、1917年9月、パリで没した。83歳だった。

ドガは、評論家のヴァレリーによると、すぐに怒りだす、つきあいにくい男だったようだ。でも、絵画については真摯だった。彼は、ハエがガラス窓を這い回るときのように鉛筆を紙の上で微妙に動かしてデッサンを描いた。パステル画も描いたし、写真もたくさん撮った。デッサンをこれでもかと積み重ねた上に作品を描いた。そして、あえて完璧にせず、かならず観る者が想像で補うべき余地を残した絵画。それがドガの芸術である。

ドガの踊り子の衣裳や裸婦の肌上に、やや唐突な感じで青い色が載っているのが、好きである。ゴッホの自画像などもそうで、なんでこんなところに青を、といぶかられる青。けれど、この青があるから味がある。この青がドガ作日の凄味を支えている。

評論家のポール・ヴァレリーはあるとき、ドガといっしょにべつの人の絵画作品を観ていた。そして、その絵が細部にわたって、ほとんど終わりがない多くの労働によって丹念に描かれているのを認め、二人はこんな会話を交わした。
「『すばらしい絵です』と、わたしはドガに言った、『でも、これだけの葉を全部描くのは大変だ……。辛くていやになるでしょうね……』
『何を言うんだ』と、ドガがわたしに言った。『いやになるほどじゃなかったら、面白くも何ともない』」(同前)
(2016年7月19日)


●おすすめの電子書籍!

『黒い火』(ぱぴろう)
47枚の絵画連作による物語。ある男が研究を重ね、ついに完成させた黒い火とは? 想像力豊かな詩情の世界。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com