7月13日は、評論家の堺屋太一の誕生日(1935年)だが、「ライヴエイド(LIVE AID)」の日でもある。
1985年のこの日に開催された「ライヴエイド」は、アフリカの飢饉救済のために、英米のロックミュージシャンたちが集まって開いた一大慈善ロックフェスティバルで、英国と米国の会場から世界同時生中継された。あれから30年以上たった。
「ライヴエイド」の開催の前には、まず下地があって、その前年の1984年、エチオピアで深刻な飢饉が起きた。これを受けて、英国のロックミュージシャンたちが「バンド・エイド(Band Aid)」を企画した。これは、英国内のロックミュージシャンたちが集まって歌を合唱して録音し、レコードの売り上げをエチオピアに寄付しようという、当時としては画期的な慈善事業のアイディアだった。もともと世の中に反体制的、反抗的な若者の表現であったロックミュージックが、救済、慈善に立ち上がったわけで、これは歴史的な転換点だった。
レコーディングされた「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス(Do They Know It's Christmas?)」の歌詞は、ヨーロッパ人のせまいキリスト教的世界観を露呈した悲しい出来だったが、1984年の暮れにレコードは発売され、大ヒットした。
これをまねたのが、米国ミュージシャンたちによる「USAフォー・アフリカ(USA for Africa)」で、同じようなレコーディングが、ライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソンらによっておこなわれ「ウィー・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」が録音、発売された。1985年のことで、当時、作家、村上龍はこう言っていた。
「アフリカの飢饉は、アメリカのスーパー・スターたちの役に立っているなあ」
こうした英米の慈善レコード合戦があった後、今度はこれをライブ・コンサート版でおこなおうというのが、ライヴエイドの骨子だった。
ライヴエイドは英国ロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムではじまり、数時間後に米国フィラデルフィアのJFKスタジアムでも幕が開いた。先にはじまった英国側がやがて閉幕し、米国側もついに閉幕となって終わるという構成だった。12時間の長丁場で、はじめ英国会場でドラムを叩いていたフィル・コリンズが、超音速旅客機のコンコルドに乗って移動し米国会場に現れてドラムを叩くなどの趣向もあった。
数日後、ミュージシャンの甲斐よしひろがラジオでライブエイドについて感想を述べた。
「スーパースターがたくさん出たけれど、やっぱり最後に世界をその前にひざまずかせたのはミック・ジャガーだったね」
この男はいったい何を見ていたのだろう、と聞いていて思った。いちばん輝いていたのは、まちがいなくデヴィッド・ボウイだったのに。
翌日、音楽通の女性に、甲斐よしひろの感想のことを話すと、彼女はうなずいた。
「そうよねえ。やっぱりミックよねえ」
ある人は「やっぱりフーが最高だった」
ある友人は「レッド・ツェッペリンのためにあったイベントだった」
べつの友人は「ブライアン・フェリーがいちばんよかった」といった。
以来「ライブエイド」は「群盲象を撫づ」と同じ意味の故事成語になった。
(2016年7月13日)
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