西田幾多郎(にしだきたろう)は、1870年、石川の宇ノ気村で生まれた。
裕福な地主の家系に生まれた幾多郎は、長男で、上に姉が二人、下に弟が一人いた。弟は日露戦争に出生し戦死した。幾多郎は石川県専門学校に入学したが、彼が在校中に学制改革があり、学校が第四高等中学校に変わった。すると学校の環境が一変した。
校長や舎監、幹事などの職に、九州の鹿児島で政治家や警官をやっていた人々がやってきて就任し、急に規則ずくめの学校になった。これは文部大臣だった森有礼が鹿児島出身だった影響によるもので、西田はのちに禅学者となる鈴木大拙ら同級生と楽しい高校生活を謳歌していたが、新しい校風に合わず、退学した。
独学した後、西田は21歳のとき、東京帝国大学の専科へ入学。哲学を修めた。
学生時代、よく寺院で座禅したという西田は、大学卒今日後、26歳のときに母校、四高の講師となり、学習院教授をへて、40歳の年に京都帝大助教授となった。
41歳のとき『善の研究』を出版。
43歳で京大教授。以後、『無の自覚的限定』『哲学の根本問題』などを書き、1945年6月、尿毒症のため、鎌倉で没した。74歳だった。
『善の研究』は、発売時、学生たちが徹夜で並んで書店の開店を待って買ったというベストセラーだが、なかなか難しい。
西田は、座禅の体験で得た思想を理論化した。それが「純粋経験」で、彼は、主観と客観、物質と精神などと、ものごとを対立させて考えるのでなく、ものごとを対立する以前にさかのぼった根本的なところで統一的に理解しようとした。こういう自他の立場を統一したものが人格であり、そういう人格を実現することが「善」である、と。
西田は、日本の哲学者のなかで、みずからの思想を体系付けた唯一の哲学者と呼ばれる。
高校の修学旅行のとき、京都の「哲学の道」を歩いた。あそこは大文字山が見下ろす疎水沿いの小道で、西田幾多郎が思索にふけりながら歩いてそう呼ばれるようになった。西田は考えにふけって歩いて、ぶつかり、
「あっ、失礼」
と郵便ポストに謝ったそうだ。
そういう時間が、人間には必要である。せわしい現代、切実にそう感じる。ポストにぶつからないような、なにも考えない者は、わけのわからないまま生きて、わけのわからないまま死んでいくのだろう。
(2016年6月17日)
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