3月11日・ユルバン・ルヴェリエの計算 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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3月11日は、音楽プロデューサー、織田哲郎が生まれた日(1958年)だが、天文学者ユルバン・ルヴェリエの誕生日でもある。海王星の位置を言い当てた人である。

ユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエは、1811年、フランスの、イギリス海峡に近いノルマンディー地方のサン=ローで生まれた。父親は政府の役人で、ユルバンには、3歳年上の姉がいた。
学業成績の優秀だったユルバン少年は、地元サン=ローのカレッジ、カーンのカレッジをへて、パリの難関エコール・ポリテクニークを志望したが、入試に落ちてしまった。
ユルバンの父親は、サン=ローの家を売り払って学費を作り、息子を著名な数学者のもとで学ばせた。一浪したユルバンは翌年、晴れてエコール・ポリテクニークへ入学した。
化学に興味を傾けていった彼は同校で、有名な化学者ゲイ=リュサックの授業を受けている。ゲイ=リュサックは「気体の体積が温度の上昇に比例して膨張する」という「ゲイ=リュサックの法則(または「シャルルの法則」)の発見者である。
産業化学分野で、リン、酸素、水素の化合物を研究していたルヴェリエは、25歳のとき、地方の化学教師職の誘いをいくつか受けたが、それらをことわり、パリにとどまって、教師や家庭教師をしながら、ゲイ=リュサックの下で研究を続けた。
そんなとき、エコール・ポリテクニークに、ゲイ=リュサック教授の下で働く化学の副教授職と、天文学の副教授職、ふたつのポストに空きが出た。
ルヴェリエは化学を希望したが、そちらのポストは、優秀な化学論文を書いていた競争者に奪われてしまった。そこで、ルヴェリエは天文学のポストをとった。
天文学へ移った年に、ルヴェリエは結婚している。この辺、学問分野よりなにより、とにかく身をかためるために安定した収入がほしかったのかもしれない。
さて、そんな事情で天文学の研究をはじめたルヴェリエのところへ、パリ天文台の監督から、天王星の軌道に関する計算の依頼があった。
太陽系の第7惑星、天王星は、ルヴェリエが生まれる30年前に、英国のハーシェルによって発見されていたが、ケプラーの法則やニュートン力学から計算して得られる軌道と、実際に観測して得られる軌道とにずれがあった。
ルヴェリエはこの問題に取り組んだ。そして、宇宙空間にいまだ発見されていない惑星があり、その引力が軌道のずれを生んでいるとして、その位置を算出し、論文にした。さらに、彼はドイツ天文学のヨハン・ガレに手紙を書き、その位置を観測するよう依頼した。
ガレが天文台の望遠鏡をそちらへ向けると、果たして、天王星よりさらに遠い、第8惑星、海王星が発見されたのだった。
ルヴェリエはそのほかにも数々の業績をあげ、パリ天文台の監督を務め、国内外のさまざまな栄誉を受けた後、1877年9月、パリで病没した。66歳だった。

海王星の発見こそ、ニュートン力学が科学史上に声高らかにあげた凱歌である。
ルヴェリエと同時期に、英国のジョン・アダムズもルヴェリエとほぼ同じ位置を算出しており、海王星の発見は、ルヴェリエ、アダムズ、ガレ、3人の功績とされる。

それにしても、化学の道へ行きたかったのに、ライバルに席をとられ、断念した。仕方なく入ったわき道で、輝かしい偉業を打ち立てた経緯は、人生の妙が味わい深い。
(2016年3月11日)


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