ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボーは、1854年、北フランスのシャルルヴィルで生まれた。父親は陸軍歩兵部隊の大尉で、母親は厳格なカトリック教徒だった。
ジャンが6歳のころ、両親が別居し、子どもたちは母親といっしょに暮らした。
11歳のとき、高等中学校に入学したジャンは、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、古代史などに抜群の成績をおさめた。
ランボーの思春期は、プロシア・フランス戦争、第三共和制、パリ・コミューンという戦乱の時代で、刺激のすくない田舎暮らしのなかで、ランボーはいてもたってもいられず、家出を繰り返し、パリを放浪した。
16歳のとき、パリの叙情詩人、ヴェルレーヌとパリで同棲をはじめ、ランボーが18歳のとき、ヴェルレーヌがランボーをピストルで撃ち、二人は決別した。
ランボーが詩集『地獄の季節』『イリュミナシオン』を書いたのはこの前後で、書き終えた20歳のランボーはそれ以後、生涯、詩を書かなかった。
ランボーは、欧州諸国を放浪し、26歳の年に、貿易会社の社員となり、アビシニア(エチオピア)で銃器の売買をおこなった。30歳のころには、独立して、アフリカで象牙、コーヒーの貿易、また武器の密輸に携わるようになったが、やがてリューマチに苦しみだし、右ひざに悪性腫瘍ができたため、仏国のマルセーユまでもどり、入院した。
36歳のとき、右脚を切断。いったんは退院したが、病状が悪化し、再入院した病院で、1891年11月、ランボーは没した。37歳だった。
ランボーの詩は、そこに登場してくる一つひとつのイメージがとても鮮烈で、また、ことばでつづられる内容の展開が、いちいちひねりが効いている。それがランボーの魅力である。
「平然たる非情の大河をくだってゆくうち、
いつかおれはもう船曳きどもの導きを感じなかった。
喊声あげる赤肌のインディアンらがかれらを的にと引っ捕え、
彩色した杭にずらり裸で釘づけにしていたのだ。」(渋沢孝輔訳「酔いどれ船」『フランス名詩選』岩波文庫)
ランボーが詩を書いたのは、たった5年ほどの期間で、書いた詩も、とうぜんそんなに多くはない。でも、彼のことばの強烈な魅力は、たぶん人類が続いているうちは、永遠に輝きつづけるだろうと思う。鋭い感受性と、若い情熱、そして明晰な頭脳が、思春期のランボーのなかで、たまたま出会い、はげしく火花を散らした。散った火花は、そのまま世界文学の奇跡となった。ランボーというのは、そういう現象だと自分は理解している。
読むと、その火の粉を浴びて、心が熱くなる。そういう詩人である。
(2015年10月20日)
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