9月29日・セルバンテスの女神 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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9月29日は、フランス・スペイン連合艦隊を撃破した英国海軍のネルソン提督が生まれた日(1758年)だが、作家セルバンテスの誕生日でもある。『ドン・キホーテ』の作者である。

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラは、1547年、スペインのアルカラ・デ・エナーレスで生まれた。父親は外科手術をする床屋だった。引っ越しの多い少年時代をすごしたミゲルは、23歳のころには、スペイン海軍の兵隊となっていた。
1571年、ギリシアのレパント沖で、スペイン、ヴェネツィア、ジェノヴァなどのカトリック連合軍側と、オシマン・トルコ軍が衝突したレパントの海戦に、24歳だったセルバンテスも従軍した。そのときの戦いで、彼は砲撃により左腕を失った。
片腕を失った名誉の負傷を誇りとしたセルバンテスは、半年ほど病院で過ごした後、まだ傷が完全に癒えないまま、イタリアの戦場に出て戦った。彼の働きに感じた総司令官は、スペイン国王の弟だったが、セルバンテスの昇進を推薦する手紙を彼に与えた。
28歳のとき、スペインへ帰る途中、セルバンテスの乗った船は、アルジェリア人の海賊に襲われた。戦闘がおこなわれ、乗組員の多くが殺され、セルバンテスは捕虜となった。
そのとき、セルバンテスが国王への推薦状をもっていたことが、一兵卒にしかすぎない彼を、ひどく身分の高い人物に見せた。海賊は、とても払えない高額の身代金をセルバンテスの家族に要求し、そのためにセルバンテスはアルジェリアで5年間、奴隷生活を送ることになった。この経緯について、ドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネはこう評している。
「逸材と認められたことでさえ、彼にとっては新たな不幸の種にすぎなかったことになる。またこういう次第で、あの恐ろしい女、(幸運の)女神フォルトゥナは、最期の日まで彼を嘲ったのである。女神は、自分の贔屓(ひいき)なくして名声や名誉に到達することをけっして天才に許しはしないのだった。」(兼田博訳「『ドン・キホーテ』への助言」『ハイネ散文作品集 第5巻』松籟社)
いく度か脱走を試みては失敗し、最終的にカトリックの慈善団体によって身請けされ、セルバンテスはようやく故国スペインへもどった。
故郷で彼は、いろいろな商売を試した後、徴税人の仕事に就いた。しかし、集めた税金を預けておいた銀行が破産し、そのお金と追徴金を含めて多額の負債を負う羽目になった。負債を払えず、セルバンテスは50歳のとき、投獄された。その牢獄のなかで構想したのが『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿)』だった。
出獄後、58歳のときに『ドン・キホーテ』は出版され、大ベストセラーとなった。しかし、印税制度がなく、買い取り契約だったため、セルバンテスの暮らしはなかなか楽にならなかった。そして、1616年4月、マドリードで没した。68歳だった。

長編小説『ドン・キホーテ』は、中世の騎士物語を読みふけって、ついに自分が騎士のつもりになって馬にまたがり飛びだしていき、風車を怪物と見て突っ込んでいくなど、行った先々でいろいろな騒動を起こす、頭のいかれた男、ドン・キホーテの滑稽話である。
中世の騎士物語の息の根を止め、近代小説の道を開いたと言われる歴史的傑作だけれど、この作品以上に、書いた作者の人生のほうが、まさに冒険で、奇譚である。
英雄の人生というのは苦難の連続であり、それをつぎつぎと乗り越えていくところに英雄たるゆえんがある。苦難は人生という鏡を磨ける唯一の鏡なのかもしれない。
(2015年9月29日)


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