7月14日・クリムトの煽情 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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7月14日は、映画監督イングマール・ベルイマンが生まれた日(1918年)だが、画家クリムトの誕生日でもある。

グスタフ・クリムトは、1862年、オーストリアのウィーン郊外のバウムガルテンで生まれた。父親は金銀の細工をする彫金師で、グスタフは、男3人、女4人の7人きょうだいの上から2番目の子だった。
貧しい境遇に育ったグスタフは、14歳のとき、ウィーンの美術工芸学校へ入学し、そこで建築物の装飾を学んだ。学校に通いながら、友人や弟といっしょに「芸術家カンパニー」を設立して、主として劇場の装飾を請け負う仕事をはじめた。
21歳で美術工芸学校を卒業。劇場の装飾画や室内風景画の依頼を受けて描き、描くごとに高い評価を受けた。
20代のころ、細密リアリズムの画家だったクリムトは、30歳前後からしだいに、死とエロスを感じさせる、妖しい雰囲気をもった画風へと移行していった。しかし、彼の新しい境地は、当時ウィーンで展示会を仕切っていた芸術団体の保守的な芸術観は相容れず、クリムトは仲間と、古い様式にとらわれない新しい芸術団体「ウィーン分離派」を結成した。クリムト35歳のときのことで、彼はこの団体の初代会長に選出された。
この前後から、クリムトは油彩の作品に金箔を用い出し、「黄金様式の時代」と呼ばれる彼独特の豪華絢爛で煽情的な作風が展開されるようになり、「ユーディット」「金魚」「水蛇」「期待」「成就」「ダナエ」「接吻」など抽象的な画題の傑作が生まれた。
1918年、脳卒中で倒れたクリムトは肺炎を併発し、2月に没した。55歳だった。

裸婦を数多く描いたクリムトは生涯独身を通したが、多くのモデルと愛人関係にあって、彼女らに子どもを産ませたりしている。「愛、性、生、死」を鋭敏な感覚で表現したクリムトは、肥り気味のがっしりした体格の、首の太い、精力がみなぎった感じの男だった。やっぱり、たいした芸術作品を次々と作り上げていくためには、まず体力のあるからだが欠かせない。

日本の美術の最高峰は、自分は尾形光琳にあると考えている者で、金箔をふんだんに用い、物体を思いきり単純な模様に変形して、絵全体をあるリズムとして表現した、あの様式美こそ、日本の美術の特色であり、日本の美意識が到達したひとつの頂点なのではないかと思っている。
そうしたジャポニズムの特色を受け入れて、かつ、そこに西洋絵画の技術と、アールヌーボーの様式、そして世紀末ウィーンの感性を溶け合わせてできた傑作が、クリムト作品である、という風に自分は解釈している。とはいえ、どうしてそんなことが実現できたのか、まったくわからない。
(2015年7月14日)



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