ヘルマン・ヘッセは、南ドイツのカルプで、1877年に生まれた。父親はロシア人で、プロテスタントの宣教師だった。母親はインドで生まれたドイツ人宣教師の娘で、息子のヘルマンは、4人きょうだいの2番目だった。
彼が7歳のとき、同志社大学を興した新島襄が両親を訪ねてきて、幼いヘルマンに強い印象を残した。ヘッセは生涯覚えていて、晩年それについて語っている。
生まれたときから宣教師になるよう期待されていたヘルマンは、14歳で神学校に入学した。が、13歳のときから、詩人以外の何者にもなりたくないと思い詰めていた本人にとっては、神学校の寄宿舎暮らしは窒息的な生活で、入学して半年すると脱走。いったんは連れ戻されたが、15歳になる前に退学し、牧師のもとに預けられた。
ピストルを買ってきては自殺しようとするヘッセは、べつの高校へ入学しても続かず、1年続かずに脱落。書店で働いて逃げだしたり、庭仕事をしたりした後、17歳のとき、町工場の歯車みがきになった。この時期の、なにをやってもだめな、詩人志望の落ちこぼれ体験が、後に名作『車輪の下』として結実した。
18歳のとき、書店の店員となり、働きながら詩や小説を書くようになった。
27歳のとき発表した『郷愁(ペーター・カーメンチント)』によって、一躍文名が高まり、29歳で『車輪の下』を発表。
35歳のとき、スイスへ移り、以後、『クヌルプ』『青春はうるわし』『デミアン』『シッダールタ』『ガラス玉遊戯』などを発表し、69歳のときノーベル文学賞を受賞。
1962年8月、スイスのモンタニョーラで没した。85歳だった。
自分は学生時代からヘッセは好きで、よく読んでいた。『車輪の下』『婚約』『流浪の果て』など、美しい印象があり、なつかしい。
ヘッセに「春」という詩がある。
「若い雲が静かに青空を走って行く。
子どもたちは歌い、花は草の中で笑う。
どちらを見ても、私の疲れた目は、
本で読んだことを忘れたいと願う。
ほんとに、本で読んだむずかしいことは
みんな溶け去って、冬の悪夢に過ぎなかった。
私の目はさわやかに癒されて、
新しいわきでる造化を見つめる。
だが、凡そ美しいもののはかなさについて
私自身の心の中に書き記されているものは
春から春へながらえて
どんな風にも吹き消されはしない。」(高橋健二訳『ヘッセ詩集』新潮文庫)
ヘッセっていいなぁ、と思う。透き通った、空中に浮かんだ水の粒のような、そのまま浮かばせてずっととっておきたい、そんな不思議な性質の魅力である。
(2015年7月2日)
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