3月17日・横光利一の人柄 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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3月17日は、ゴルファー、ボビー・ジョーンズの生まれた日(1902年)だが、「小説の神様」横光利一の誕生日でもある。

横光利一は、1898年、福島県の北会津に生まれた。本名は「としかず」と読む。
父親は鉄道技師で、そのため利一は幼いころから東京の赤坂、三重の柘植、滋賀の大津などを各地を転々としながら成長した。利一の親友、川端康成がこう書いている。
「横光君の父上は測量技師で、『鉄道の神様』と言はれてゐた。勘のいい人で、トンネル工事の入札は名人だつた。山をぢつとみてゐると、工事の見積りが立つといふ風だつた。その生涯で最も華かだつた時代は、生野で銀山をあてた時である。幾度か浮き沈みの一生であつた。金銭には淡白で、人に言はれるままに貸し与へ、証文は破いた。京城で死んだ。行年五十四」(川端康成「横光利一」)
利一は早稲田大学に入学したが、長期欠席と学費未納により除籍となった。
25歳になる年に、菊池寛によって創刊された雑誌「文藝春秋」の編集同人となった。また同年、小説『日輪』を発表。斬新で劇的な文体で、文壇に衝撃を与えた。
26歳のとき、横光は、川端康成、今東光、片岡鉄平らと同人誌「文芸時代」を創刊。ここに、新しい日本語の文体創造を目指す「新感覚派」の運動がはじまった。
32歳のとき、ヨーロッパの新しい潮流「意識の流れ」を意識し、独創性豊かに展開した短編『機械』を発表。以後、長編『上海』『紋章』『家族会議』『旅愁』などを書いた。ほかに『悲しみの代価』『青い石を拾ってから』『静かなる羅列』『花園の思想』『睡蓮』『微笑』などがある。
敗戦後の1947年、疎開先での記録『夜の靴』を発表し、同年12月、胃潰瘍と腹膜炎のため没した。49歳だった。

「蟻(あり)臺上(だいじょう)に餓(う)ゑて月高し」
自分は、横光の故郷、柘植まで横光のこの句碑を見に行ったことがある。
横光文学の魅力は志にある。その書こうとねらっているレベルの高さと、その高い理想に迫ろうと苦闘する姿の美しさにあると思う。

「野兎はいちびの茂みの中で、昼に狙はれた青鷹の夢を見た。さうして、飛び跳ねるといちびの幹に突きあたりながら、むかごの葉むらの中に馳け込んだ」(『日輪』)

「馬車は炎天の下を走り通した。さうして並木をぬけ、長く続いた小豆畑の横を通り、亜麻畑と桑畑の間を揺れつつ森の中へ割り込むと、緑色の森は、漸く溜つた馬の額の汗に映つて逆さまに揺らめいた」(『蠅』)

横光は、その才気走った作風とは裏腹に、その人柄は純朴だった。
川端康成は横光について、こう言っている。
「君は常に僕の心の無二の友人であったばかりでなく、菊池さんと共に僕の恩人であった。恩人としての顔を君は見せたためしは無かったが、喜びにつけ悲しみにつけ、君の徳が僕をうるおすのをひそかに僕は感じた」(川端康成「横光利一弔辞」)
評論家の小林秀雄はこう言っている。
「僕は横光さんていう、人間が好きだったしね、立派な人なんでね」(対談「美のかたち」)
(2015年3月17日)



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