アナイス・ニンは1903年、フランスのパリ郊外の街ヌイイで生まれた。フランス革命のときにフランスから逃げてキューバ人になった家系で、アナイスの父親はハバナ生まれのピアニスト、母親はフランスやデンマーク系の血をひくキューバ人の歌手だった。
アナイスが子どものころに両親が離婚し、彼女は米国ニューヨークへ引っ越し、そこで思春期を過ごし、11歳のときから日記をつけはじめた。
アナイスは16歳のときに学校をやめ、写真のモデルなどをして暮らしていた。
20歳のとき、ハバナで銀行家のヒュー・パーカー・ギラーと結婚。翌年、新婚の彼らはフランスのパリへ引っ越した。夫ギラーは銀行員を続け、アナイスはパリでフラメンコダンサーをしながら、文章を書くことに熱中した。
28歳のころ彼女は、パリにやってきて貧乏な米国人ヘンリー・ミラーと知り合った。ミラーには米国人の美人妻ジューンがいたが、アナイスはミラーと恋仲となり、また妻のジューンとも友人になり、彼ら3人は奇妙な三角関係に入った。
アナイス・ニンは、作家の卵ミラーを刺激し、ミラーはアナイスの知性を吸収した。
29歳のとき、アナイスはD・H・ロレンスについての評論を出版し、31歳のとき、彼女が印刷費用を出してやって、ミラーの長編小説『北回帰線』が出版された。アナイスはこの小説にこんな序文を寄せている。
「根源的な現実へのわれわれの嗜欲をとり戻す──もしそういうことが可能だとすれば──そういう力のある小説がここにある」(大久保康雄訳「北回帰線・序」『ヘンリー・ミラー全集1』新潮社、1965年)
アナイス・ニンはその後、36歳のときに夫ギラーとともに米国ニューヨークへ移った。
米国で、アナイスはお金目当てで匿名のポルノ小説『ヴィーナスのデルタ』『小鳥たち』を書いた。これらは女性作家によるポルノ小説のもっとも初期のもののひとつとされる。
また、1966年、アナイスが63歳のとき、11歳から書きつづけていた彼女の日記『アナイス・ニンの日記』の第一巻が出版された。この書はすぐれた日記文学として評判を呼び、彼女は世界的女流作家となった。彼女はウーマン・リブ(女性解放運動)の先駆者として賞賛を浴び、大学の名誉教授の称号を贈られ「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるなどした後、1977年1月、ガンのためロサンゼルスで没した。73歳だった。
美貌と妖艶な肉体をもつアナイス・ニンは、男の望む通りの女らしい女としての自分を男に与えながら、いつの間にか相手を自分の影響下に取り込んで、男を教育、養育し、成長させ、それによってみずからも女神として輝いていく。アナイス・ニンはそういう現代的な新しいフェミニズムを体現した人で、時代を飛び越えて、数十年先取りしたフェミニズムを実践していたという気がする。
(2015年2月21日)
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