1月28日・コレットのバイセクシュアル | papirow(ぱぴろう)のブログ

papirow(ぱぴろう)のブログ

Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

1月28日は、日本SF界の巨匠、小松左京が生まれた日(1931年)だが、女流作家コレットの誕生日でもある。

シドニー=ガブリエル・コレットは、1873年、スランス、ブルゴーニュ地方のサン=ソーヴル=アン=ピュイゼーで生まれた。父親は戦闘で片足を失った元陸軍軍人だった。
小さいころからバルザック、ジョルジュ・サンドを読んでいたガブリエルは、学校を出て20歳のときに批評家のウィリー(本名アンリ・ゴーチェ=ヴィラール)という14歳年上の中年男と結婚し、パリで暮らしはじめた。
立派な口ひげをたくわえたウィリーは、自分では書かず、何人かのゴーストライターに指示して演劇批評や音楽評論、小説を書かせ、上がってきた原稿を手直しして「ウィリー著」として発表する著述業をしていたが、彼があるとき、妻ガブリエルが書き散らしたノートを見つけた。ノートは、彼女が学校時代を思いだして書いたものだった。
「そして彼はノートのひとつをパラパラとめくりながら『悪くないぞ』。さらに一冊、また一冊、と開いてゆき……ついにこう叫んだ、『いやあ! 俺はなんて間抜けなんだ!」。そして、額の平べったい帽子をむんずとつかみ、出版社にむけて駆けていった。もっともあとで、方言や、子供の悪戯や、レスビエンヌの雰囲気をいくらか加筆して、『ちょっと刺激的な』物語にすることをすすめたのだったが。」(ハーバート・ロットマン著、工藤庸子訳『コレット』)
ウィリーの新作として発表された小説『学校のクロディーヌ』は、1900年、ガブリエルが27歳のときに発表された。主人公クローディーヌをめぐる少女たちや教師たちの同性愛を含む性愛模様を描いた小説は大好評を博し、ウィリーは一躍人気作家となった。
自分で書かないウィリーは、妻ガブリエルを部屋に閉じ込め、続編を書かせ、クローディーヌ・シリーズは大ヒットし、クローディーヌの化粧クリームやキャラクター商品までが出まわる人気となった。妻に原稿を書かせ、夫ウィリーは愛人と浮気を楽しんでいた。
31歳のとき、彼女は「コレット・ウィリー」と自分の名前が入ったはじめての著書『動物の対話』を出版。そして33歳のとき、彼女はウィリーと離婚し、恋愛関係にあった男爵夫人の家に身を寄せた。コレットはパントマイムの舞台に立って稼ぎながら、小説を書いた。彼女のパントマイム劇「柔肌」には、けんかをする男がコレットの服を引き裂き、彼女の乳房が観客の前に現れるというセンセーショナルな場面があり、地元警察からは胸を隠すよう通達があり、舞台は公演に行った先々で絶賛の嵐を呼んだ。
舞台の仕事で生活を支えながら、彼女は小説を書きつづけ、37歳のとき『さすらいの女』を発表。その後も、コレットは同性とも異性とも関係をもち、結婚と離婚を繰り返しながら、体験をベースにした創作『きずな』『シュリ』『シュリの最期』『シド』『ジジ』『牝猫』などを書いた。たまたま見かけたオードリー・ヘップバーンを米ブロードウェイで舞台化された『ジジ』の主役に抜擢したコレットは、アカデミー・ゴンクールの会長を務め、レジオン・ドヌール勲章を受けた後、1954年8月、パリで没した。81歳だった。国葬が営まれた。

英国のミュージシャン、デヴィッド・ボウイがバイセクシュアルだと公言して物議を醸したのが1970年代。その半世紀以上も前に、それを実践していたコレットは、性愛の自由に関し、ずいぶん先を歩いていた先駆者だったと言える。
(2015年1月28日)


●おすすめの電子書籍!

『大人のための世界偉人物語』(金原義明)
世界の偉人たちの人生を描く伝記読み物。オードリー・ヘップバーン、エジソン、野口英世、ヘレン・ケラー、キュリー夫人、リンカーン、ジョン・レノンなど30人の生きざまを紹介。意外な真実、役立つ知恵が満載。人生に迷ったときの道しるべとして、人生の友人として。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com