ビートたけしは、1947年、東京で生まれた。本名は北野武。団塊の世代である。父親が塗装業を営む北野家は、経済的には貧しかったが、精神的には高潔なものがあった。
明治大学に入学したたけしは、ジャズ喫茶にいりびたり、アルバイトにあけくれ、彼は永山則夫や中上健次と同時期に同じ職場で働いたこともあるという。
たけしは大学を除籍後、25歳のとき、浅草の演芸ホールで芸人見習いをはじめた。
漫才コンビ「ツービート」を結成し、過激な差別ギャグで、カルト的人気を誇った。が、売れっ子になるのは、33歳のころからはじまる漫才ブーム以降のことである。
36歳のとき、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に主演した。。当時、日本でもっとも忙しいタレントといわれた彼が、ひと月以上も日本を離れ、南の島でロケに取り組んだ。彼にとっては本格的商業映画の初体験だったが、これでたけしの映画への扉が開かれた。扉を開けてくれたのが世界的な映画監督・大島渚で、共演者が英国のスーパー・スター、デヴィッド・ボウイという幸福な映画デビューだった。
39歳のとき、出版社・講談社の雑誌編集部に殴り込みにいき、逮捕され前科者となった。愛人といっしょのところを雑誌にスクープされたのに腹を立てての暴挙だった。屋台を引いても弟子たちを食べさせていくとの覚悟を決めてのたけし軍団のテロ決行だった。
47歳のとき、パイクを飲酒運転し、転倒事故を起こした。一命はとりとめたものの、顔が大きく損傷し、事故以前と以後で大きく変わってしまった。このときの療養中の病室で彼は写経のように絵を描きつづけた。その絵が、後の彼が監督し、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受けた「HANABI」に使われた。以後、彼は、ビートたけし、または北野武として、タレント、映画監督、俳優、作家、芸術家、大学教授など、まさにマルチな才能を発揮しつづけ、その活躍ぶりはとどまるところを知らない。その活躍ぶりを賞して、かつて彼を除籍した明治大学は、彼に卒業証書を出したそうだ。名前になびく大学もある。
たけしが1994年にバイク事故を起こし担ぎ込まれた病院で、その夜当直をしていた医者に、自分は話を聞いたことがある。当時若かった彼(医者)は、最初救急車が着いたとき、患者は顔もからだもぐしゃぐしゃにつぶれた状態だった。で、彼は横の先輩医師に言った。
「あれっ、先輩、この人、なんだか、ビートたけしに似てません?」
まさか。先輩医師は言ったが、所持品を見てみると、まさしく北野武だった。病院では緊急体制がとられた。外科、整形外科など各科のエキスパートが緊急召集され、
「病院の総力をあげて、患者を助けよ」
との厳命がくだされた。こういう有名人の存亡の危機に際して、病院側はなんとかして助けようとする。病気や負傷が重篤であればあるほど懸命になる。それが助かると、病院のいい宣伝になり、お客(患者)が増えるからだ。とにかく、病院側の必死の救命努力により、たけしの命は救われた。あのとき死んでいれば、その後の映画作品はなく、現代の「世界のキタノ」は存在しなかった。「命なりけり、小夜の中山」である。有名であることが、彼を救った。また、天が彼にまだ死ぬことを許さなかった、とも言えると思う。
(2015年1月18日)
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