ウィリアム・フォックスは、1879年の元日、現在のハンガリーのトレビショフで生まれた。出生時の名はウィルヘルム・フリート。両親ともにユダヤ人だった。
ウィルヘルムが小さいときに、一家は米国ニューヨークへ引っ越した。
ウィルヘルムは新聞配達をし、毛皮や服飾業界で働き、名をウィリアム・フォックスと改めた。
フォックスは21歳になる年に自分の会社を興し、25歳のときにこの会社を売却して、5セント映画館を買収した。この映画館を足掛かりに映画産業に乗りだし、36歳のとき、フォックス・フィルム会社を興し、映画制作をはじめた。
彼が48歳のとき、ライバルである映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)のトップだったマーカス・ロウが没し、その経営がフォックスの友人の手に委ねられた。フォックスはこれを好機とみて、フォックス・フィルムとMGMの合併を目論んだ。しかし、MGMの株をもつ同社幹部のなかに反発する者がいて、彼らはフォックスを反トラスト法に触れるとして裁判所に訴え、政治家に根回しした。
そんな時期にフォックスは自動車事故で重傷を負って入院した。そこへ1929年のニューヨーク市場の株価大暴落にはじまる大恐慌が重なった。株価暴落でフォックスは合併のための資金を失い、さらに連邦政府と7年間にわたる法廷闘争に忙殺される羽目におちいった。破産寸前に追いつめられたフォックスは、判事を買収しようとし、その買収工作が露顕して逮捕され、6カ月刑務所に服役した。
刑期を終えて出所したフォックスは、映画事業から引退した。
当時500館の映画館を所有していたフォックス・フィルムは、フォックスの手を離れ深刻な経営不振におちいった。銀行や政治家が経営再建に介入し、1935年に新興勢力である20世紀ピクチャーズと合併し、同社は20世紀フォックスとして存続することになった。
創業者のウィリアム・フォックスは、1952年5月、ニューヨークで没した。73歳だった。
20世紀フォックスはその後、1985年にルパート・マードック率いるニューズ・コーポレーションの傘下に入り、2013年にニューズ・コーポレーションから分社された21世紀フォックス傘下の企業となった。
ハリウッドの映画産業はユダヤ人実業家たちが興した一大エイターテイメント業界だけれど、その創成期を担った大物のひとりがウィリアム・フォックスだった。
大成功を収めたが、大恐慌に遭遇した不運と、反トラスト法を掲げる政府を敵にまわして闘う恰好になったために、晩年は不遇だった。フォックスの葬儀には、映画業界のプロデューサーは一人も顔を見せなかったそうだ。
でも、貧しい移民の子が裸一貫から大企業を作り上げた。その奮闘に拍手したい。
フォックスは、味わい深い発言を残している。
「われわれが体制に求めるのはこういうことだけである……妥当であること(All we are asking institutions to do ... is to be reasonable)」(ThinkExist.co: http://thinkexist.com/)
(2015年1月1日)
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