ジーン・ドロシー・セバーグは、1938年、米国アイオワ州のマーシャルタウンで生まれた。スウェーデンからやってきたルター派の移民3世で、父親は薬剤師で、母親は教師、ジーンは4人きょうだいの一人だった。
高校卒業後、アイオワ大学で演劇を学んだが、彼女は映画女優の道を選んだ。
バーナード・ショーの戯曲を映画化した「聖女ジャンヌ・ダーク」のオーディションを受け、18,000人の応募者のなかから選ばれ、19歳のとき同作品で映画デビュー。
続いて「悲しみよこんにちは」に出演し、彼女のショートカットの髪型は「セシルカット」として大流行した。
そして、21歳のとき、ジャン・リュック・ゴダールの初監督作品「勝手にしやがれ」に主演。ラストシーンは彼女の顔のアップで、こうつぶやいて幕となる。
「最低って何のこと?」
同作品はヌーヴェルヴァーグの代表作となり、彼女の名前を世界にとどろかせた。以後「さよならパリ」「ペンチャーワゴン」「大空港」などに出演した。
セバーグは、1960年代に盛り上がった黒人の公民権運動に共鳴し、29歳のころ、米国の黒人武闘派組織「ブラックパンサー党」に資金提供したことから、米国FBIによって要注意人物としてマークされるようになった。彼女は尾行、盗聴など、FBI調査員によってつきまとわれていたと考えられ、彼女は精神的に追いつめられていたらしかった。
32歳のころ、彼女が妊娠すると、子どもの父親はブラックパンサー党幹部だといううわさが流れ、このうわさもFBIによる意図的な流言だったとも言われるが、結局、セバーグは流産した。
流産から1年後から、セバーグの自殺未遂がはじまった。
1979年7月、セバーグはパリのメトロから飛び降りて何度目かの自殺未遂をはかった。それは未遂に終わったが、その翌月8月30日、セバーグは映画を観ると言って家をでたまま行方不明となり、失踪の9日後の9月8日、仏国パリ郊外に路上駐車されたクルマのなかから彼女は遺体となって見つかった。40歳だった。
アルコールと薬物摂取による自殺とされるが、忙殺説も根強く残っている。
彼女が手にしていた遺書には「許して。もう私の神経は耐えられません」と書かれていた。セバーグは生涯に3度結婚しているが、彼女が32歳のころに離婚した2番目の夫は、彼女の死後、記者会見を開いて、セバーグはFBIの追及によって精神を病んでいたとFBIを非難した。そして、彼もその年の暮れに自殺した。
自分は彼女のことを長らくフランス人女優だとばかり思っていた。彼女が黒人運動に賛同していたことも、若くして亡くなっていたことも、近年になるまで知らずにいた。『FBI vs ジーン・セバーグ 消されたヒロイン』(ジーン・ラッセル・ラーソン、ギャリー・マッギー著、石崎一樹訳、水声社)という本をたまたま見かけて読み、詳細を知った。
ジョン・レノンに対してそうだったけれど、米国という国は、反米的だと目をつけた者に対しては容赦しない国だということがあらためて思いだされる。まったく惜しい女優を亡くした、と、ありきたりのことしか言えない。
ジーン・セバーグが、ジャン・ポール・ベルモンドとともに主演した映画「勝手にしやがれ」は何もかもが鮮烈で、あれほど世界の映画界にインパクトを与えた作品もめずらしい。あのころのセバーグはほんとうにいかしていた。
(2014年11月13日)
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