11月10日・シラーの歓喜 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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11月10日は、宗教改革者マルティン・ルターが生まれた日(1483年)だが、詩人、劇作家のフリードリヒ・フォン・シラーの誕生日でもある。疾風怒濤の作家である。

ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーは、1759年、ドイツ西南部にあったヴュルテンベルク公国の町マールバッハで生まれた。父親は軍医だった。
小さいころから頭脳優秀だったヨーハンは、公国の領主だったオイゲン公爵に見いだされ、軍人養成学校に入った。そこで法律学を学び、16歳のころから医学を学んだ。
17歳で処女詩集を出版したシラーは、そのころ発表されたゲーテの『若きウェルテルの悩み』に刺激を受け、戯曲『群盗』を書きはじめた。
『群盗』は彼が22歳の年に発表された。理想に燃える「疾風怒濤」の劇は舞台にかかると、観客に熱烈な喝采でもって迎えられ、失神者が出るほどの騒ぎになった。
軍医として従軍した後、シラーは23歳になる年に公国から逃げだし、マンハイム、フランクフルトなどを転々とし、亡命生活のなかで戯曲を書きつづけた。24歳で『ジェノバのフィエスコの反乱』、25歳で『たくらみと恋』を書き、スランプにおちいり生活に困窮したときは、ファンに援助を求めてしのぎ、28歳で『ドン・カルロス』を書き上げた。
29歳のとき、イタリア旅行から帰ってきたばかりのゲーテとはじめて会ったシラーは、翌年、ゲーテの推薦によって、イェーナ大学に歴史学の教授として招かれた。同大学でのシラーの講義は教室に学生が入りきらないほどの人気だったという。
歴史学では、オランダ独立戦争、三十年戦争を研究し、哲学ではカントを研究したシラーは『オランダ独立戦争史』『三十年戦争史』『人間の美的教育について』を書いた。
そして35歳のころ10歳年上のゲーテと意気投合し、二人は親密な交際をはじめ、おびただしい数の手紙をやりとりし、雑誌の編集や原稿で協力し、共同して詩を書き、ドイツ古典主義と呼ばれるドイツ文学の黄金時代を二人で築き上げた。
シラーはその後も歴史ものの戯曲を書きつづけ、39歳のとき大作『ヴァレンシュタイン』を完成し、45歳で『ヴィルヘルム・テル』を発表。病床に伏してなお戯曲を書きつづけていたが、1805年5月、結核のため、ヴァイマルの自宅で没した。45歳だった。

「Freude, sch?ner G?tterfunken,(歓喜よ、すばらしい神のひらめきよ、)
Tochter aus Elysium(理想郷から来た娘よ)
Wir betreten feuertrunken.(わたしたちは炎と酔いしれて)
Himmlische, dein Heiligtum!(天界に、あなたの聖域に入りましょう!)」
この歌いだしではじまるベートーヴェンの第九交響曲の第四楽章の「合唱」は、シラーの詩「歓喜に寄せて」に、ベートーヴェンが曲をつけたものである。
その昔、米国で何の話をしていたのか、自分がこの歌をすこし口ずさんで、
「ぼくが歌える2曲のドイツ語の歌の1曲です」
と言ったら、話をしていたアメリカ人の女のコは、拍手してこう言ったものだ。
「わあ、すごい。わたしより2曲も多いわ」

シラーは、日本では「シルレル」「シルラー」などとも表記される。これが自分は長らくわからぬままいて、シルレルというべつの人がいるとずっと思っていた。
シラー。熱くて、いいなぁと思う。シラーの辞世はこうである。
「もっと明るく、もっとよく(Immer heitrer, immer besser.)」
(2014年11月10日)


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