11月6日・ムージルの『特性のない男』 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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11月6日は「バスケットボールの父」ジェームズ・ネイスミスが生まれた日(1861年)だが、作家、ローベルト・ムージルの誕生日でもある。『特性のない男』の作者である。

ローベルト・ムージル(ムシル)は、1880年、オーストリアのクラーゲンフルトで生まれた。チェコからの移民の家系で、父親は工業専門学校の校長で、後に工科大学の教授となった。ローベルトは、はじめ軍人を志したが、途中で志望をエンジニア変え、工科大学に入り、そこでまた進路を変更して、ベルリン大学に入って哲学を学びだした。
26歳のとき、処女作『士官候補生テルレスの惑い』を発表。
28歳のとき哲学の博士号をとったが、小説家の道を選んだ。『合一』『三人の女』などを書いた後、50歳のときに長編『特性のない男』の第一巻(第一部、第二部)を出版。
53歳で第二巻(第三部)を出したが、ときを同じくしてナチス・ドイツがウィーンに侵攻してきて、続きの部分を出版できなくなり、ムージルは58歳になる年にスイスへ亡命した。
彼の作品はナチスによって発禁処分となったが、ムージルはスイスの亡命生活のなかで続編の校正刷りに手を入れ、さらに続きを書きついでいた。
そして、第二次世界大戦中の1942年4月、毎日の日課通り原稿を清書し、正午に浴室で体操しているとき、脳卒中を起こし、没した。61歳だった。
結局、『特性のない男』は未刊の大作となったが、そのスケールの大きさと内容から、プルーストの『失われた時を求めて』、ジョイスの『ユリシーズ』と並ぶ20世紀三大小説のひとつと評されるようになった。

ムージルの『特性のない男』の存在を自分は、学生時代、下宿のとなりに住んでいた理学部物理学科の先輩に教わった。その先輩は不確実な現象の起こる条件となる或る係数を求めるという、自分にはよくわからない研究をしている人で、日々大学の研究室で実験を繰り返していたが、同時にたいへんな読書家で、古今東西の文学や哲学に通じ、とくにドストエフスキーとサルトルの愛読者だった。ある夜、その先輩の部屋で飲んでいたとき、
「冒頭がかっこいいんだよ」
と先輩が本棚からぬいて見せたのが『特性のない男』のこんな冒頭の文章である。
「大西洋上に低気圧があった。それは東方に移動して、ロシア上空に停滞する高気圧に向かっていたが、これを北方に避ける傾向をまだ示してはいなかった。等温線と等夏温線はなすべきことを果たしていた。気温は……(中略)大気中の水蒸気は最高度の張力をもち、大気の湿度は低かった。以上の事実をかなりよく一言で要約するとすれば、いくらか古風な言い回しになるけれども──それは、一九一三年八月のある晴れた日のことだった。」(加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社)

『特性のない男』は、第一次世界大戦前夜からはじまる、オーストリア・ハンガリー帝国を舞台にした、変わった人物たちが交錯する物語で、神秘主義を研究していたムージルらしい妖しい雰囲気に満ちている。題名も『スパイ』『救世主』『ふたごの妹』と変転した後に『特性のない男』に落ち着いたらしい。書くうちに主人公が変わったのだと言われている。
自分はこの小説を何度も読みかけてはその都度挫折してきた。またいつか挑戦するかもしれないけれど、そういうしだいで、ムージルの名前は、自分にとって、人生上に数多ある挫折のひとつの名であり、未到達の目標でもあって、聞くと心に痛みを感じる。
(2014年11月6日)


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