フレディ・マーキュリーは、1946年、東アフリカ・タンザニアのザンジバル島、ストーン・タウンで生まれた。本名はファルーク・バルサラ。両親はペルシャ系インド人のゾロアスター教徒だった。ザンジバルは当時英国領で、父親は会計係として働いていた。フレディは長男で、下にひとり妹がいた。
インドのムンバイ(ボンベイ)で育ったフレディは、寄宿舎のある学校に入り、英国式の教育を受けた。12歳のころには、学校でバンドを組んで、ロックンロールのカバーを演奏していた。そのころから彼は、ラジオで曲を聴くと、すぐにそれをピアノを弾いて見せることができたという。
彼が17歳のとき、一家は英国イングランドへ引っ越し、フレディはロンドンの高校をへて、アート・カレッジへ進み、グラフィック・デザインの課程を修了した。
カレッジを卒業後は、古着屋をやりながら、バンド活動をした。
23歳のとき、彼はギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーのバンドに加入。彼らはバンド名を「クイーン」とし、ボーカル担当の彼は名をフレディ・マーキュリーに変えた。ここに伝説のバンド「クイーン」が誕生した。
「クイーン」は俗語として「おかま、ゲイ」の意味もあって、英国では冷やかされたりしたが、音に厚みがあり、曲の展開が個性的で、高級感あふれる彼らの音楽は、まず極東の国、日本で人気を博し、それが本国英国にも飛び火する恰好で人気に火がついた。個性的な楽曲とライブパフォーマンスで、クイーンは世界的な人気ロックバンドとなった。
フレディは「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」「愛にすべてを」「バイシクル・レース」「愛という名の欲望」といった斬新な楽曲を書く作詞作曲能力と、4オクターブの音域を歌いこなす歌唱力、そして個性的な風貌を個性的なコスチュームで包んだユニークなステージパフォーマンスでバンドを牽引した。
フレディ・マーキュリーは、HIVウイルスに感染し、45歳になったころから急に容態が悪化しだした。そして、1991年11月、エイズが原因となる気管支肺炎により、ケンジントンの自宅で死去した。45歳だった。
クイーンの名を、自分は中学生のころから知っていた。けれど、ちゃんと聴き出したのは高校生になってからだった。楽曲はすべて聴いていると思う。クイーンは、ほかのどのバンドともちがう、極端に個性的なバンドだった。音楽はこの上なく芸術的で高級。しかし、そのコスチュームはこの上なく異様で下品に見えた。とくにフレディの、からだにぴったりとはりつき、胸の部分が大きく開いた衣裳は、ひどく悪趣味な感じがした。何十年もたったいま見ても、異常に感じる、それほど強烈に個性的だった。
名曲「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディ・マーキュリーの作だけれど、あんなはげしく大きく展開していく楽曲を、よく書けたものだと感服する。
ステージに置いたグランドピアノの前にフレディがすわって、あの曲のはじめのところを、これ見よがしに手を高く上げ、左右交差させて弾きながら歌いだす姿がなつかしい。
すごいミュージシャンだったと思う。
(2014年9月5日)
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