18歳のころ、伊豆にある池田二十世紀美術館で、はじめてウォーホルの「マリリン・モンロー」10枚連作を見た。あのときの衝撃は忘れない。
アンディ・ウォーホルは、1928年に米国ペンシルベニア州で生まれた。本名は、アンドリュー・ウォーホラ。父親はスロバキアからの移民で、炭鉱夫だった。
じつは、ウォーホルの誕生日は諸説あって、はっきりしないらしい。1930年生まれの出生証明書も存在しているそうで、ただし、ウォーホルは証明書はうそだと主張するなど事実は不明で、「1928年から1931年ごろに誕生」としている書籍もある。
アルバイトをしながらピッツバーグの工科大学で学んだ後、ウォーホルは21歳のころ、ニューヨークへ引っ越し、広告制作のアーティストとして働きだした。
24歳のころ、ニューヨークではじめての個展を開き、ブロードウェイで舞台美術を担当するなど下後、34歳のとき、鉛筆描きの作品『1ドル札とワシントンの肖像』『大きいキャンベルスープ缶』を描き、その後、シルクスクリーンで『キャンベルスープ缶』『マリリン・モンロー』『エルヴィス・プレスリー』『ミック・ジャガー』『花』『ぶどう』など、写真をベースに、蛍光色を大胆に使ってコラージュした作品群を発表して、1960年代に盛んになったポップアートの旗手となった。
美術作品制作のほかにも、映画制作、ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のアルバム・プロデュースなど、さまざまな分野でアートを展開した。
1987年2月、ウォーホルはニューヨークの病院で胆のう手術を受けた後に心臓発作を起こして没した。58歳だった。
既成の美術のあり方への批判として、ポップアートは登場した。難解な構図で、わけのわからないものを描いた、世界に一点しかない油絵を見るために、わざわざその場所へ足を運ぶとか、目の飛び出るよにうな額を出してそれを作品を購入するだとかいう美術界の常識を、ウォーホルは鮮やかな手並みで破壊して見せた。
スーパーマーケットにも並んでいるスープ缶とか、マリリン・モンローの顔といった、みんながよく知っている題材をとり上げて、インパクトのある美しい芸術作品に仕上げた。そして、シルクスクリーンによって、何十枚も同じものを刷り、作品の値段を人々の手の届くものにした。
天上の高みに浮いていた芸術を、地上に引きずりおろした。教科書的かもしれないけれど、ウォーホルのやったことを説明するなら、そういうことになると思う。
自分はウォーホルが好きで、画集もいくつかもっているけれど、やっぱりウォーホルは「色」だと思う。あの色は、画集では伝わらない。
実物を見ると、その色に感銘を受ける。
それに、質感も印象深い。あれも画集では味わえない。
チャンスがあれば、ウォーホル作品はぜひ実物でご覧になることをおすすめします。
(2014年8月6日)
●おすすめの電子書籍!
『黒い火』(ぱぴろう)
47枚の絵画連作による物語。ある男が研究を重ね、ついに完成させた黒い火とは? 想像力豊かな詩情の世界。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
