8月4日・ルイ・ヴィトンの冒険 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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8月4日は、ゴロ合わせで「箸(はし)の日」。この日はジャズの「サッチモ」ルイ・アームストロングが生まれた日(1901年)だが、仏国の旅行カバン職人、ルイ・ヴィトンの誕生日でもある。
「L」と「V」を組み合わせたモノグラム・マークを偏執狂的に散らせたデザインで有名なルイ・ヴィトンは、日本人にとってブランドの代名詞と言っていいと思う。

ルイ・ヴィトンは、1821年、仏国の、スイスのジュネーヴに近いアンシェという村で生まれた。家は農家で、ルイが10歳のとき、母親が亡くなると、父親はすぐに再婚し、ルイはこの母親とそりが合わなかった。また、ルイは田舎暮らしから抜け出したかった。
そこで14歳のとき、ルイは家出をし、パリを目指した。彼は400キロメートル以上あるこの道のりを約2年かけて歩いていった。夜露をしのぐ場所を見つけては眠り、道々で仕事を手伝ってなんとか食べて、16歳のときパリに着いた。
パリのムッシュ・マルシェルというかばんメーカーの徒弟として弟子入りしたヴィトンは、そこでめきときと頭角を現した。
当時の旅行かばんは、上流階層向きに、一つひとつがオーダーメイドで手作りされていて、ヴィトンの美しいかばんやケースはしだいに注文主の上流階級の人々のあいだで評判を集めるようになり、彼は独立して自分で旅行かばん工房をもった。
彼が30歳のころ、クーデターが怒り、ナポレオン三世が皇帝を名乗ると、皇帝夫人がヴィトンをひいきにし、旅行かばんや衣裳ケースをは発注し、かくしてヴィトンは皇室御用達業者となった。
その後、33歳のとき、結婚したのを機に、ヴィトンは世界初の旅行用かばんの専門店をパリに開き、旅行用品の需要が高まるにつれてヴィトン社も成長した。
ヴィトンが65歳のとき、家業を継いでいた息子のジョルジュが堅固な錠前を開発し、これを付けたヴィトンの旅行トランクは移動できる堅固な金庫として信用を高めた。
彼が68歳の年に開かれたパリ万国博覧会で、銅メダルを獲得。
以降、ヴィトン社の製品の評価は国際的なものとなり、ヨーロッパじゅうの王侯貴族たちからトランクなど旅行用品の注文が舞い込んだ。
ヴィトンはトランクの上に布地を貼りつけてかばんを美しく、またじょうぶにしたが、これをまねたコピー商品もヴィトン社初期のころから多くでまわっていて、これはヴィト社がデザインを変更しても、すぐに新しいコピー商品が出て、いたちごっこだった。
裸一貫から一大ブランドを築いた創業者ルイ・ヴィトンは1892年2月に没した。
彼の死後、ヴィトン・ブランドは、ハンドバッグ、財布、スカーフ、サングラス、時計、アクセサリーなどさまざまな商品分野に進出し、さらに発展を続け、世界的企業となった。

ずっと昔、自分はパリからスイス・のジュネーヴまで電車に乗って移動したことがある。はじめての電車中での国境越えだったけれど、けっこう距離があった。14歳のルイ・ヴィトンが無一文で家出し、あの距離を歩き通したというのはすごいと思う。一歩まちがえば、犯罪者の手下になるか死んでいるかしていただろう。
さまざまなマークに混じって「LV」のモノグラムを散らしたデザインも、そういう乾坤一擲の冒険の末に築かれたものだと思うと、ちょっと感慨深いものがある。
ヴィトンは、家出、冒険、放浪、旅、そして旅行かばんと、なんだか一貫性があって、みごとだと思う。
(2014年8月4日)


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