8月2日・中上健次の日本語 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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8月2日は、弁護士、中坊公平が生まれた日(1929年)だが、作家の中上健次の誕生日でもある。
自分は中上健次の本を数冊しか読んだことがないので、彼について語る資格はないのかもしれない。ただ、彼が強烈な個性のもち主で、その作品が彼にしか出せない、ある独特の強さをもっていることはよくわかる。

中上健次は、1946年に和歌山の新宮で生まれた。彼は被差別部落のなか、血のつながり方が異なるきょうだいがあちこちにいるという複雑な環境で育った。
母親に土地に伝わる昔話を聞いて育った中上少年は、サド、セリーヌ、ジュネを愛読する文学青年となり、高校時代から小説を書いていた。
19歳のとき、大学予備校入学のため上京。同人誌に参加し、そこで知り合った文学仲間の女性と結婚。羽田空港で荷物の積みおろしなどの肉体労働をしながら小説を書きつづけ、『十九歳の地図』などで注目され、30歳の年に『岬』で芥川賞を受賞。初の戦後生まれの芥川賞作家の誕生だった。
以後、故郷の紀州を舞台にした小説群を発表した後、1992年8月、腎臓がんのため、和歌山県内の入院先で没した。46歳だった。
作品に『邪淫』『枯木灘』『鳳仙花』『千年の愉楽』『地の果て 至上の時』『重力の都』などがある。

学生だったころ、自分は高橋さんという編集者にお昼ご飯をおごってもらい、編集の仕事についてお話をうかがったことがある。彼は中上健次に『岬』を書かせた人だったと後に知れた。高橋さんは、
「思い切ったことをしてみませんか」(高橋一清『編集者魂』集英社文庫)
と中上をたきつけた。それから一年後、げっそりとやせた中上がもってきたのが『岬』だったという。べつの本で、高橋さんはこう書いている。
「二つ年下で、私は、時に弟のように感じていた、中上健次氏が言っていたことばを思い出す。
『もしも一清さんに会わなかったら、俺は永山則夫になっていた』」(高橋一清『あなたも作家になれる』KKベストセラーズ)
永山則夫は連続殺人事件の犯人で、獄中で『無知の涙』を書いた後、死刑になった。永山はジャズ喫茶で働いていたことがあり、中上健次はそこの常連だったという。

どの作品だったか、いつか中上健次の作品が谷崎潤一郎賞の候補にのぼったとき、審査員の作家のひとりが、中上の小説中の一節の揚げ足をとって、
「完璧な文章で知られた谷崎の名の賞を、こんな文章を書く作家にやるわけにはいかない」
というような意味のことを言っていた。結局、中上は受賞できなかった。
ひどい理屈だなあ、と自分は思った。その審査員は、自分の文章は完璧だと思ってるのか? 谷崎の文章は完璧だと思っているのか? 過去の谷崎賞作品の文章は完璧なのか? そもそも完璧な文章が、完璧な日本語が、この世に存在していると思っているのか? と腹が立った。
中上健次は、文壇の先輩たちにはうとまれがちで、落とすためのへ理屈をこねられ、生前は文学賞から縁遠かったという気がする。谷崎賞作家の多くは、没すると忘れ去られる人が多いが、中上は没後にかえって評価が高まってきた「ほんもの」だと思う。

『岬』など、すごい作品だなあと自分は感服した。中上健次の文章は、概して一文一文が短い。だから、一つひとつの表現が強い。だから、長く読み進むのには体力がいる。これが自分の正直な中上文学の感想である。
「文学のゴッホ」という感じがする。ゴッホは強い原色の点描画の人で、絵の具を分厚くキャンバスの上にたたきつけたが、中上健次の日本語もそれに似ていると思う。
(2014年8月2日)


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