ネルソン・ホリシャシャ・マンデラは、1918年、南アフリカ共和国のトランスカイで生まれた。父親はテンブ人の首長だった。
ネルソンはメソジスト派のミッションスクールをへて、フォート・ヘア大学に入学した。が、22歳のころ、学生ストライキを主導し、退学処分となった。
その後、べつの大学で法律を学び、学士号をとったマンデラは、26歳のとき、アフリカ民族会議(ANC)に入党し、反アパルトヘイト運動に取り組みだした。そして、32歳で、ANCの青年同盟議長となった。
34歳のとき、フォート・ヘア大学時代の友人といっしょに弁護士事務所を開業。そのころ、ANCの副議長となった。
43歳のとき、マンデラは「ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)」という軍事組織を作り、初代司令官になった。
44歳のとき、逮捕され、国家反逆罪で終身刑の判決を受けた。以後、約27年間、獄中にあったが、獄中でもマンデラは大学の通信課程で法律を学ぶなど、勉学を続けた。
彼が監獄にいるあいだに、南アフリカ政府のアパルトヘイト(人種隔離、分離政策)に対する国際世論の非難は強まり、マンデラ解放の声も高まった。
そうした状況を受け、マンデラが71歳のとき、白人側政府のデクラーク大統領はマンデラと会談をもち、その2カ月後にマンデラは釈放された。71歳になっていた。
73歳の年にマンデラはANC議長に就任。デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を開き、政治体制の変革を進め、アパルトヘイトの元凶となっていた数々の法律を廃止することに成功した。
1993年、75歳のマンデラは、デクラークとともにノーベル平和賞を受賞した。
翌年、南ア史上初の全人種が参加した選挙が実施され、ANCの勝利を受け、ネルソンは大統領に就任。
マンデラは79歳のとき、副大統領にその地位を譲り、引退した。
2013年12月、肺の感染症を患っていたマンデラは、ヨハネスブルグの自宅で没した。95歳だった。
40代から70代にわたる獄中生活で、マンデラは結核にかかったり、強制労働で健康を害したりしたこともあったらしいが、彼は希望を捨てず、勉強を続け、生き延びた。彼が生きている、そのことが、塀の外の人たちの希望ともなった。
昔、観た映画のなかで、古代マケドニアのアレクサンダー大王は、家庭教師だったアリストテレスに、
「細く長い人生などいらない。わたしは短く太く生きたい」
という意味のことを言っていて、そのことば通りに生きたけれど、ネルソン・マンデラの人生を見ると、長く生きて、自分の時がくるのを待つことで輝く場合もあるのだとわかる。
マンデラはこう言っている。
「生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。」(癒しツアー: http://iyashitour.com/)
(2014年7月18日)
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