7月11日・ゴーズミットの電子スピン | papirow(ぱぴろう)のブログ

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7月11日は、「ジャケットの帝王」ジョルジオ・アルマーニが生まれた日(1934年)だが、物理学者、サミュエル・ゴーズミットの誕生日でもある。

サミュエル・ゴーズミット(ハウトスミット)は、1902年、ネーデルランド(オランダ)のハーグで生まれた。一家はユダヤ系だった。
ネーデルランドのライデン大学で物理学を学んだゴーズミットは、23歳のとき、ジョージ・ウーレンベックとともに電子のスピンを発見。
25歳で博士号を取得し、渡米。米国に帰化し、ミシガン大学の教授に就任した。
第二次大戦中は、MIT(マサチューセッツ工科大学)でレーダーの研究をした。
また大戦中、連合軍側の原爆開発プロジェクト「マンハッタン計画」の一部である、アルソス・ミッションにも携わった。これは、ナチス・ドイツ側の原爆開発の進捗状況をさぐろうとするもので、ゴーズミットはヨーロッパへおもむき、ドイツ側の研究者であるヴェルナー・ハイゼンベルクやオットー・ハーンらと接触することに成功した。
ゴーズミットは43歳のとき終戦を迎えた。
44歳でミシガン同大学を辞めた後は、ノースウェスタン大学、ネバダ大学、あるいは研究機関に勤め、スペクトルの微細構造を研究する一方で、科学雑誌「物理学レビュー」の編集にも携わった。
1978年12月、ネバダ州リノで没した。76歳だった。

ゴーズミットらが発見した電子のスピンは、おおまかに言うと、こういうものらしい。
まず、ナトリウム原子を、通常の環境下で発光させ、それをスペクトル分析すると、A線、B線、C線、D線、E線、F線などの線が見える。
しかし、磁場のかかった環境下にナトリウム原子をおいて、同じようにスペクトルを見ると、D線が複数に分かれているのだった。
これを発見したのがネーデルランドの物理学者ピーター・ゼーマンで、彼の名前をとって、これを「ゼーマン効果」と呼ぶ。
この現象がどうして起きるのかわからなかったのだけれど、これを説明したのが、ゴーズミットとウーレンベックの「電子のスピン」説で、彼らは、原子核のまわりをまわっている電子は、原子核のまわりを公転する軌道角運動量のほかにも運動量をもっているのではないかと疑った。そして、電子が大きさを持ち、電子自身がくるくると自転しているのではないか、という仮説をたてた。電子が自転することで角運動量をもち、電子ごとに自転の回転方向がちがうために、エネルギー準位が異なることになり、それでスペクトルが複数に分かれて表れたのではないか、と、こう考えた。

それまで、電子には、それほど自由が許されていなかった。電子はただ点として、その位置と動きまわる速度によって運動量があるだけの存在だった。
ところが、ゴーズミットらによって、電子にはそれぞれの自由があって、彼らは自分でくるくるとスピンしている、スピンという個々の運動量をちゃんともっているのだ、という主張がなされた。
ここに、ごく小さい粒子を扱う量子力学は、大きな一歩を進んだわけである。

ゴーズミットは、一つひとつの電子に、それまで彼らに認められていなかった運動量という自由を与えた。
なんだか、ルソーが、一人ひとりの一般庶民に、それまで彼らに認められていなかった人間としての価値を与えたのに通じる気がするのは、あまりに文科系すぎる発想だろうか。
(2014年7月11日)


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