中学一年生のとき、自分は「ピアノの詩人」ショパンの伝記本を読んだ。本のなかに、ジョルジュ・サンドとの恋物語が書かれてあって印象深かった。からだの弱い、はかなげな天才作曲家のショパンと、健康な姉さん女房といった感じのジョルジュ・サンドの、マジョルカ島への恋の逃避行の話だった。
ジョルジュ・サンドは、1804年、フランスのパリで生まれた。本名はアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン。父親は軍人貴族で、母親は貴族ではなかった。
父親は没した後は、父方の祖母の家に身を寄せ、フランス中央部のアンドル県の田園風景のなかで育った。
18歳でカジミール・デュドヴァン男爵と結婚し、デュドヴァン男爵夫人となった。19歳と24歳のとき子を産み、その後、夫とは別居し、愛人を作るようになった。
27歳のころから、ジョルジュ・サンドのペンネームで小説を発表しだし、男装してサロンに出入りし、話題を巻いた。詩人のミュッセや、作曲家フランツ・リストらとの恋をへて、32歳のとき、6歳年下のフレデリック・ショパンと恋に落ちた。
34歳のとき、ショパンの健康のため、二人は地中海のマジョルカ島へ行って家を借りたが、不倫関係にある2人は保守的な地元住民にうとまれ、安楽な環境が得られず、かえってショパンの健康を害する結果となり、彼らは3カ月ほどで島をひき払った。その後、彼女が43歳のころ、二人は別れた。
ジョルジュ・サンドは、マルクスやバクーニンなどの政治活動家や、ユーゴー、フローヴェールといった文学者たちと交流し、フェミニズム運動を率い、多方面で活躍した後、1876年6月、アンドル県で没した。71歳だった。
ジョルジュ・サンドというと小説『愛の妖精』が有名だけれど、自分は小学生のときに『ものを言う樫の木』という話を読んで、とても感銘を受けた。田舎の身寄りのない少年が、森のなかの樫の木のうろに住みつく。その樫の木は、ことばをしゃべり、少年に語りかけるのである。
少年はその後、世話をしてくれる親切な紳士に出会って、働き、自立していくのだけれど、その紳士が少年に、こういう意味のことを言った。
「自分で働いて食べているのなら、なんにも恥ずかしいことはないんだよ。胸を張って生きていていいんだよ」
このことばに少年は救われる思いがし、成長していくのだけれど、また、読んでいる自分も救われる思いがしたものだった。
そして、小説の終わりのほうで、少年時代に世話になった樫の木のうろに、少年は文字を刻んだ銅板か何かを投げ入れたと思う。あそこも、なんだか「人類が滅びた後、一行の美しい詩が残ればいい」という象徴派詩人のようでよかった。
その樫の木の話は、内容だけ覚えていて、作者名はずっと忘れていたのだけれど、近年になって、ジョルジュ・サンドが作者だとわかった。
こういう風に、少年時代に親しくつきあった人に、大人になってから再会するのは、とても懐かしい、生きていてよかったという気持ちがするもので、ジョルジュ・サンドは自分にとってそういう、うれしい旧友である。
(2014年7月1日)
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