ザ・ビートルズは、英国リバプール出身の若者4人組グループ。
ジョン・レノン(ヴォーカル、リズムギター、来日当時25歳)
ポール・マッカートニー(ヴォーカル、ベースギター、来日当時24歳)
ジョージ・ハリスン(ヴォーカル、リードギター、来日当時23歳)
リンゴ・スター(ヴォーカル、ドラム、来日当時25歳)
4人全員がヴォーカルをとってハモるという、コーラスグループのような美しいハーモニーを特徴としたロックバンドだった。
1962年に英国でレコードデビューした彼らは、1964年には米国ツアーをおこない、
1965年には、英国の外貨獲得への貢献により、大英帝国勲章のMBE勲章を受賞。
1966年当時、世界中にビートルズ・ブームが吹き荒れていて、その人気絶頂のグループがやってくるにあたり、警視庁は外国のVIPを迎えるような戒厳態勢を敷いた。空港にはヘリコプター3機が用意され、警備に警官3万人が動員されたという。
ドイツ公演を終えて、日航機でやってきたビートルズの面々が羽田空港に降り立ったのが、午前4時すこし前。航空会社が用意した日本の法被を着てタラップを降りた彼らは、交通規制された夜明けの首都高をクルマで移動し、ホテルへ入った。
「MBE勲章はもってきましたか?」
記者会見の席での質問に、ジョン・レノンは、
「はい」と、そこにあったコースターを掲げて見せた。
到着の翌日から3日間、昼と夜の計5回、武道館で演奏がおこなわれ「アイ・フーィル・ファイン」「イエスタデイ」などが演奏された。武道の殿堂、武道館でロックコンサートが開かれた最初であり、以後、武道館は国内外のミュージシャンのあこがれのライブの殿堂となった。
滞在中、宿泊先のホテルにはファンが詰めかけ、警備態勢も厳重で、4人は缶詰め状態だった。それでもポール・マッカートニーは警備の目をかいくぐって抜け出し、皇居の周辺を散歩し、ジョン・レノンは青山の骨董屋にクルマで乗りつけて買い物をした。
来日から4日後の7月3日、ビートルズは羽田を飛び立ち、フィリピンに向かった。
フィリピンでは、当時の権力者、マルコス大統領からのパーティーへの招待状がファンレターにまぎれてしまい、それが大統領の好意を無視したととられ、暴動が起き、ビートルズの面々は着の身着のままでフィリピンから逃げだした。
それ以前からすでにコンサートツアーにうんざりしていた4人は、これで完全にツアーを続ける意欲を失い、以後、ビートルズは、レコード制作のためのスタジオ演奏のみをおこなうバンドとなった。
ビートルズの来日は、自分はまだ物心つく前だった。自分がビートルズを知ったのは中学生のころで、すでに彼らは解散していた。自分は、遅れてきた青年だった。
2014年の先日、71歳で来日したポール・マッカートニーは、48年前のビートルズの公演と同じチケット代金の1500円の特別席を用意した。同じコンサートのS席は8万円だった。(結局、ポールの体調不良のため、コンサートは中止)
現代のデジタル時代には、録画された記録よりも、ライブという、その瞬間、その場所でしか得られない体験共有の価値がいよいよ高まっていきている。現代のあちこちで高価なコンサートチケットを売っているミュージシャンたちは、みんな、ビートルズの4人が若さでもって切り開いた道の恩恵をこうむっているのだと思う。
(2014年6月29日)
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