アンネリース・マリー・フランクは、1929年、ドイツのフランクフルトで生まれた。裕福なユダヤ人家庭で、父親は銀行家だった。アンネには三つ年上の姉がいた。
1933年、アンネが4歳になる年に、ナチス党のヒトラーがドイツ首相になった。ユダヤ人迫害を避け、フランク一家はネーデルランド(オランダ)のアムステルダムへ引っ越した。
1939年、アンネが10歳のとき、ドイツ軍はポーランドへ侵攻。第二次世界大戦がはじまった。ネーデルランドは中立を宣言していたので、彼らは安心していた。
アンネは、よく冗談を言う、陽気で、男の子にも人気のある快活な少女だった。
1940年、アンネが11歳になる年、ドイツ軍はネーデルランドへ侵攻した。5日後には降伏文書が調印され、ネーデルランドはドイツの占領下に入った。
1942年、13歳の誕生日に、アンネは父親から、赤と白の表紙のサイン帳をプレゼントされた。アンネはこれを日記帳の「キティー」と名付け、キティーに打ち明けるという形式で日記をつけはじめた。これが『アンネの日記』である。
アムステルダムではナチス親衛隊によるユダヤ人の強制連行がはじまった。強制労働収容所で虐殺されるとのうわさを聞き、アンネの父親は事務所を改造して隠れ家を作った。
1942年7月、アンネが13歳のとき、フランク一家にも出頭命令がきた。彼らは出頭せず、用意した隠れ家に潜伏した。そして、潜伏生活2年。
1944年8月、アンネが15歳のとき、ゲシュタポ(秘密警察)によって隠れ家があばかれた。フランク一家は貴重品を没収された後、連行されていった。そのとき『アンネの日記』は没収をまぬがれ、事務所の従業員によって保管された。
アンネは、ヴェステルボルク、アウシュヴィッツ=ビルケナウの強制収容所をへて、ベルゲン・ベルゼン収容所へ送られ、飢餓と栄養失調のなか、チフスのため、1945年3月にそこで没した。まだ15歳だった。フランク家の人々は収容先で死んでいったが、アンネの父親ひとりは生きて戦後を迎えた。父親は娘の日記を手に入れ、出版した。
『アンネの日記』で、彼女がこういう意味のことを書いていたのをよく覚えている。
「世界の一方では食べ物が有り余っているのに、一方では飢えている人たちがいるのは、どうしてなのでしょう」
自分はまったく同感で、人類はいまだにこの問題を解決できていないと思う。
しばらく前、杉並区立図書館で『アンネの日記』などの蔵書が破られる事件があった。事件後、アンネ・フランク財団から図書館へアンネの関連書籍が寄付され、それが杉並区の中央図書館に陳列されていた。こういう苛酷な運命を背負わされたされた女の子が書いた本を、よく破れたものだと、驚いた。自分には恐ろしくて、とてもできない。
ホロコーストのことを思うと、人間というのは、どこまで冷酷になれるものかと、慄然とする。日本人も731部隊など、同じようなことをやったのであり、自分もその仲間かと思うと、もう一度がく然とする。満州官僚の孫はこのところ、憲法の「戦争放棄」を「戦争OK」と読み替えようと躍起だし、まったく人間というのはつくづく呪われた種だと思う。でも、そのなかに希望をみつけていかなくてはならない。
(2014年6月12日)
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