5月26日・マイルス・デイヴィスの時代 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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5月26日は、「ルパン三世」のマンガ家、モンキー・パンチが生まれた日(1937年)だが、ジャズ・トランペッター、マイルス・デイヴィスの誕生日でもある。
自分がジャズという音楽ジャンルを知ったとき、マイルスはすでに「モダン・ジャズの帝王」だった。ジャズといえばマイルス。マイルスは、ジャズの代名詞だった。

マイルス・デューイ・デイヴィス三世は、1926年、米国イリノイ州のアルトンで生まれた。父親は歯医者で、母親は音楽教師だった。
生まれてすぐイーストセントルイスへ引っ越したマイルスは、13歳の誕生日にトランペットを誕生プレゼントとしてもらった。これが彼の人生を決定した。
高校生のころからセントルイスのクラブで演奏していた彼は、18歳のころ、セントルイスややってきた天才サックスプレイヤーのチャーリー・パーカーとはじめて共演。マイルスはニューヨークに出て、パーカーをさがしだした。すると、6歳年上だったパーカーのほうが、裕福なマイルスの部屋に転がりこんで同居をはじめた。そうしてマイルスはジャズ・ミーュージックにいよいよ深くのめりこんでいった。
19歳ではじめてレコーディングに参加し、以後、ドラムのアート・ブレイキー、サックスのジョン・コルトレーンなど、さまざまなジャズ・ミュージシャンと共演した。20代なかばに麻薬中毒のため挫折しかけたが、立ち直り、セッションに復帰。
31歳でフランス映画「死刑台のエレベーター」の音楽を即興演奏で録音。
クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、演奏スタイルを変化させ、つぎつぎと新しい境地を切り開き、「クールの誕生」「ウォーキン」「カインド・オブ・ブルー」「マイルス・イン・ザ・カイ」などを発表したマイルスは1991年9月、肺炎のため、ニューヨークで没した。65歳だった。

マイルス・デイヴィスが61歳のとき発表した「TUTU」というアルバムで、このレコード・ジャケットをデザインした日本人デザイナー、石岡瑛子さんが、グラミー賞の最優秀パッケージを受賞した。レコード・ジャケットいっぱいに、マイルスの顔のアップがモノクロ写真であるシンプルかつインパクトのあるデザインだった。それをきっかけに、自分はマイルスをすこしずつ聴くようになった。

マイルスがジャズを新たに展開させた功績のひとつに、モード・ジャズということがある。これは、それまでコード進行によって演奏されていたジャズを、モード(旋法)で演奏していこうとするもので、これによって、独奏がより自由にできる可能性が広がった。コードからモードへ。その記念碑的アルバムが「カインド・オブ・ブルー」だそうで、いま、それを聴きながらこれを書いている。
はじめて聴いたときは、ぜんぜんいいとは思わなかったけれど、久しぶりに聴いてみて、こんなにいい音楽だったとはと驚いた。
自分の場合、ジャズ音楽に親しむのに、何十年もかかった気がする。遅れてやってきた自分にとっては、いよいよこれからがマイルスの時代なのである。
(2014年5月26日)


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