4月7日は、社会思想家、シャルル・フーリエが生まれた日(1772年)だが、ジャズ・シンガー、ビリー・ホリディの誕生日でもある。
自分がビリー・ホリディを知ったのは、ダイアナ・ロス主演の映画「ビリー・ホリディ物語」だった。「奇妙な果実」もその映画のなかではじめて聴いた。
ビリー・ホリディこと、エリノラ・フェイガン・ゴフは1915年、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、メリーランド州ボルチモアで育った。父親はナイトクラブのジャズ・ギタリストで、エリノラが生まれても籍を入れず、実子の認知すらしなかった。そこで母親はエリノラを祖母など親戚に預け、売春をして生活費を稼いだ。
10歳のころ、エリノラが家にひとりでいると、隣人が侵入し、彼女は強姦された。
13歳のとき、エリノラは母親に連れられてニューヨークへ出た。母親は売春婦をして母子家庭の生活を支えたが、ニューヨーク市警には14歳のエリノラが売春容疑の母親とともに留置された記録が残っているという。
ハーレムのすさんだ生活のなか、十代でナイトクラブに出入りするようになったエリノラは、大恐慌時代だった15歳のとき、歌手の仕事につき、男の子のニックネームである「ビリー」に、血縁上の父親の姓である「ホリディ」を付けて芸名とした。
強烈な個性をもった歌声で、ビリー・ホリディはたちまち頭角をあらわし、以後、ステージやレコード・スタジオでデューク・エリントン、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、マイルス・デイビスなどと共演した。
「月光のいたずら」「奇妙な果実」「暗い日曜日」「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド 」などのヒット曲がある。
圧倒的な実力を認められ、カーネギー・ホールで喝采を浴びながらも、黒人差別のために白人バンドとツアーができなかったり、麻薬やアルコールへの依存症に苦しんだり、麻薬所持で投獄されたためにナイトクラブでの仕事の免許を取り上げられたりと、多くの苦難をなめた。
大麻からヘロイン、LSDまで手を出し、アルコール依存症でヘビー・スモーカーだった彼女は肝硬変、腎不全などを併発し、1959年7月、ニューヨークのハーレムで没した。44歳だった。
出会う男がみな暴君で、殴られ、おどされ、しぼりとられ、麻薬漬け、借金漬けにされて、身も心もぼろぼろだった。それでも歌えば燦然と輝いた。そういう生涯だった。
世の中には、この歌はこの人にしか歌えないという組み合わせがときどきあって、それはたとえば郷ひろみの「男の子女の子」とか、エディット・ピアフの「愛の讃歌」だろうけれど、ビリー・ホリディの「奇妙な果実」もそのひとつだと思う。
「米国南部の木には奇妙な果実がなる(Southern trees bear strange fruit)」
とはじまる、この歌をはじめて聴いたときの衝撃は忘れられない。
自分は米国文化史を専攻する学生で、担当教官は米国黒人史が専門だったので、さらに感じるところが深かった。
それにしてもビリー・ホリディは魂の歌手だった。というか、彼女は歌手という枠をはみ出した、霊媒のような特殊な存在だったという気がしてならない。
(2014年4月7日)
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