3月19日は、アフリカを探検したリヴィングストンが生まれた日(1813年)だが、いまひとりの探検家、リチャード・フランシス・バートンの誕生日でもある。リチャード・バートンというと、大女優エリザベス・テーラーと2度結婚して2度離婚した俳優と同名だけれど、こちらのバートンは冒険家、翻訳家で、『バートン版アラビアンナイト』というときの、あのバートンである。
リチャード・フランシス・バートンは、1821年、英国イングランド南西部のトーキーで生まれた。父親は英国軍人で、リチャードには下に妹と弟がいた。
子どものころ、父親の転勤にともなって仏、伊などを転々とし、フランス語、イタリア語、ラテン語、ナポリの方言などを習得した。
19歳でオックスフォード大学に入学したが、反抗的な態度のため退学。軍人となって、英国の植民地だったインドに駐在した。
29歳のとき、英国にもどったが、32歳になると今度は中東へ渡り、イスラム教徒に変装してメッカ巡礼をし、そのころ勃発したクリミア戦争では、英仏が支援したオスマン帝国軍に句わっってロシア軍と戦った。
36歳のとき、友人とアフリカへ渡り、ナイル川の源流をさがす旅に出発。ヴィクトリア湖を発見した。
39歳になると、北米大陸横断の旅に出発。北米の前人未到の地を訪ね、その人文地理を報告した。
45歳のとき、ブラジルの駐サントス領事に任命され、南米へ渡り、奥地を探検。
48歳で、シリアの駐ダマスカス領事に任命され、中東へ渡った。
52歳のとき、現在のイタリアの駐トリエステ領事となり、そこで『アラビアンナイト(千一夜物語)』を英語に翻訳。
1890年12月、心臓発作のため、トリエステで没した。69歳だった。
バートンは、数十カ国語をあやつったという。『アラビアンナイト』のほか、インドの性典『カーマ・スートラ』も訳している。
谷崎潤一郎の『蓼食う虫』に、バートン版の『アラビアンナイト』のことがでてきて、それで自分はバートン版をすこし読んだ。性的なことがらに関し、冷静でくわしい注釈がほどこされていて感心した。自分は『アラビアンナイト』のファンで、文庫本で全巻そろえているが、自分の本棚にあるのはマルドリュス版である。
それにしてもバートンという人は、19世紀の人とはとても信じられないくらいに、地球を自分の庭のように動きまわった人だった。これだけの知力、体力、行動力を兼ね備えた人はめったにいるものではない。爪のアカでもわけてもらって飲みたかった。
(2014年3月19日)
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