3月1日・ショパンのはかなげさ | papirow(ぱぴろう)のブログ

papirow(ぱぴろう)のブログ

Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

もう今年もすでに3月? という3月1日は、短編小説の名手、芥川龍之介が生まれた日(1892年)だが、「ピアノの詩人」フレデリック・ショパンの誕生日でもある(異説あり)。
自分は中学生のときにショパンとジョルジュ・サンドの恋物語を読んで以来、ショパンのファンである。ショパンのピアノ曲全集や、琴で演奏されたショパン作品集をもっていて、ときどき聴く。モーツァルトやベートーヴェンも好きだけれど、ショパンこそ詩人だ、という感じはする。瑞々しい。古びない。個性的だと思う。

フレデリック・フランソワ・ショパンは1810年、現在のポーランドのジェラゾヴァ・ヴォラで生まれた。父親は仏国からやってきた家庭教師だった。フレデリックは4人きょうだいの上から2番目で、彼のほかはみな女のきょうだいだった。
フレデリックが生まれて間もなくして、一家はワルシャワへ引っ越した。父親はワルシャワの学校でフランス語教師になった。ショパン一家はみな音楽の才能があったが、フレデリックはとび抜けていて、彼は小さいころから姉にピアノを教わり、6歳からピアノ教師につき、7歳で作曲し、8歳のときには演奏会を開いていた。その神童ぶりはモーツァルト以上と言われ、ワルシャワに天才少年ショパンを知らぬ者はいなかった。
16歳で入学したワルシャワ音楽院を、19歳のとき首席で卒業。20歳のときにオーストリアのウィーンへ旅立ち、そこからフランスのパリへ渡った後、彼は終生母国ポーランドへもどらなかった。ショパンが母国を後にしたのが、ちょうどロシアの圧政に対してポーランド市民が武力蜂起した「11月蜂起」のときで、侵入したロシア軍によって蜂起が鎮圧されたニュースをパリで聞き、ショパンは胸を痛めた。
ショパンはパリでは、ロスチャイルド男爵夫人にかわいがられ、音楽家のリスト、詩人のハイネ、画家のドラクロワらと交友をもった。26歳でポーランドの伯爵令嬢と婚約した。しかし、彼の肺結核の病状悪化のため、婚約は破棄された。同じころ、ショパンは女流作家のジョルジュ・サンドと出会い、二人は恋に落ちた。28歳の彼は6歳年上のサンドと手に手をとって、スペイン領マジョルカ島へ旅立った。ショパンの健康のために温暖な地中海を選んだのだが、きびしい冬が到来し、彼の健康はかえって損なわれた。ただし、マジョルカ島でショパンの創造性は充実し、そこで数々の名曲が書かれた。
37歳でジョルジュ・サンドと別れたショパンは、38歳のときに英国へ演奏旅行に出た。英国の寒い気候とハードスケジュールは彼の病状をさらに悪化させた。仏国へもどったショパンは1849年10月、肺結核のためパリで没した。39歳だった。

遺言により、ショパンの心臓は葬儀の前に取り出されてポーランドへ帰った。アルコール漬けにされて教会に保存された。第二次大戦中、ナチス・ドイツの占領下にあったポーランドでは、民族意識を高揚させるとしてショパンの音楽は禁止されていた。それでも、人々はひそかにショパンを演奏したり、レコードをかけたりした。だから、自分にとってのショパンのイメージは、詩情と、恋と、祖国への愛である。「子犬のワルツ」「別れの曲」「舟歌」「幻想即興曲」など、うっとりとしてしまう。

ピアニストの中村紘子さんは、ショパンの左手をかたどった手の像をもっていて、それは男性ピアニストとはとても思われない、彼女の手よりも小さい手だそうだ。そんな小さい手の名ピアニストが、ずっと結核を抱えて生き、夭逝した、そのはかなげな感じが、また切なくて、ショパンをいっそう好きにさせる。
(2014年3月1日)



●おすすめの電子書籍!

『3月生まれについて』(ぱぴろう)
芥川龍之介、黒澤明、ラヴェル、スティーブ・マックイーン、ジョン・アーヴィング、ゴッホ、周恩来など3月誕生の31人の人物論。人気ブログの元となった、より詳しく深いオリジナル原稿版。3月生まれの秘密に迫る。

http://www.meikyosha.com