2月20日は「燃える男」が生まれる日である。たしか落語家の立川談志が生前、石油危機が叫ばれていたころ、こんなことを言っていた。
「石油がなくなるって世の中で騒いでますがねぇ、もしも石油がなくなったら、アントニオ猪木とか、長嶋茂雄とか、燃える男を燃しゃあいいんですよ」
2月20日は「小説の神様」志賀直哉(1883年)、プロレスのアントニオ猪木(1943年)、そして、プロ野球界の「ミスター」長嶋茂雄の誕生日でもある。
長嶋茂雄は、1936年、千葉の、現在の佐倉市で生まれた。父親は町役場に勤める役人で、茂雄は4人きょうだいの末っ子だった。
野球少年だった茂雄は、「物干し竿」と呼ばれた長いバットで打ちまくる強打者、藤村富美男の大ファンで、藤村の所属する阪神タイガースのファンだったという。彼は手縫いのボールとグローブ、手製のバットで野球の練習をした。
高校時代には野球部の4番打者として活躍した。卒業にあたり、社会人野球やプロ野球の読売ジャイアンツからも誘いがあったが、父親がすべて断り、茂雄を大学へ進学させた。
立教大学に入学した長嶋は、野球部に入部。六大学リーグのホームラン記録を作った。
卒業後、22歳で読売ジャイアンツに入団。大型新人だったが、開幕デビュー戦では、国鉄の金田正一投手に完全に抑えられ、4打席すべてを連続三振した。その後はヒットとホームランを量産しだし、プロ野球の新人ホームラン記録を作った。
「4番、サード、長嶋」とアナウンスされる長嶋は、サードゴロを猛ダッシュしてとりにいき、フルスイングで空振りする「見せる野球」で人気者になった。ジャイアンツの主軸メンバーとなり、3番打者「一本足打法」の王貞治とともに「ON砲」と呼ばれた。
38歳のとき、現役選手を引退。引退セレモニーのスピーチで、
「我が巨人軍は永久に不滅です」
とあいさつした。彼の背番号「3」は永久欠番となった。現役引退後は、読売の監督、オリンピック代表チームの監督などを務め、77歳のときに国民栄誉賞を受賞した。
自分は野球にはうといので、ひいきの球団をめぐってファンがケンカしたニュースなどを聞くと、どうして他人の商売をあれだけ熱心に応援できるのか不思議な気がする。野球というスポーツは、すわっているだけの時間も多く、腹の出た選手もいたりするので、余計にそう思う。のだけれど、そんな自分でも、王貞治、長嶋茂雄、野茂英雄、イチローといった選手たちのレベルになると、さすがにその魅力もわかる気がしてくる。
その昔、江夏豊投手が村上龍のテレビトーク番組に出演しているのを見た。江夏投手は当時、米国のメジャー球団の入団テストを受けてきたところだったのだけれど、彼が、米国の選手たちは、練習前のロッカールームで音楽を大音響で鳴らして、素っ裸になって踊りはじめ、びっくりした、というような話をした。すると、村上龍が、
「長嶋茂雄選手だったら、そういうのにも入っていけますかね?」
と尋ねた。すると、江夏投手は、すこし考えてから、こう答えた。
「うん、ミスターだったら、裸になって、いしょに踊りだすかもしれない」
これを聞いたとき、自分ははじめて長嶋茂雄の魅力が、すこしわかった気がした。
(2014年2月20日)
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