2月8日・ジュール・ヴェルヌの世界一周 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

2月8日は、ファッションデザイナー、山本寛斎が生まれた日(1944年)だが、SF(空想科学小説)の父、ジュール・ヴェルヌの誕生日でもある。
自分はこれまで生きてきたなかで、文字通り寝食を忘れて読みふけった本が何冊かあるけれど、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』もその一冊である。
若いころのある日、夕食後に文庫本を買ってきて読みはじめ、真夜中をすぎた。読むのを中断して寝ようかとも思ったけれど、
「もしも明日死ぬようなことがあったら、悔いが残るしなあ」
と思い、読み続けた。朝方、空が白みはじめるころに読み終えた。すごくいい気分で、読んでよかったと思った。

ジュール・ガブリエル・ヴェルヌは、1828年、仏国西部のナントで生まれた。父親は弁護士だった。ジュールは5人きょうだいのいちばん上だった。
11歳のとき、ジュールはいとこのキャロラインに珊瑚のネックレスをプレゼントするために、密かにインド行きの船の使いっ走りとして乗り込んだ。船は出航し、最初の停泊地パンブーフの港に着いた。彼はそこで待ち構えていた父親に家へ連れもどされ、
「これ以後は旅行は夢のなかだけにする」
と約束させられた。この逸話は、ジュール・ベルヌの姪が書いた伝記による。
法律科へ進んだジュールは文学青年で、とくにヴィクトル・ユゴーの熱烈なファンで、ユゴーの長編『ノートルダム・ド・パリ』は全ページを暗唱できたという。
やがて、彼はパリの法律学校へ進み、ナントへ帰郷した折には父親の手伝いをするようになった。パリでは、『三銃士』を書いた大デュマ、『椿姫』を書いた小デュマのデュマ父子と知り合い、それが縁でヴェルヌが書いた処女戯曲『折れた麦わら』が大デュマのプロデュースで舞台にかかった。ヴェルヌが22歳のときのことで、彼は法律の勉強をしながら、戯曲や冒険小説を書くようになった。
23歳で弁護士の資格をとったヴェルヌに、父親は執筆をやめて弁護士の仕事に専念するよう説き、24歳のとき、父親がついにナントへ帰ってくるように指示してきた折、ヴェルヌは弁護士への道を捨てることを決心した。
28歳のとき、友人の結婚式の介添人となったヴェルヌは、花嫁の姉妹で2人の子持ちの未亡人と恋に落ち、彼女と結婚するために、株式取引の仕事をはじめた。彼は朝早く起きて小説を書き、株式市場へ出勤し、夜はクラブで自然科学の調査をするという生活を送り、29歳で結婚した。
35歳のとき、冒険小説『気球に乗って五週間』がヒットし、ヴェルヌは一躍流行作家となった。以後、彼は雑誌と長期契約を結び、執筆に専念した。そうして『地底旅行』『月世界旅行』『海底二万里』『八十日間世界一周』『インド王妃の遺産』『バウンティ号の叛徒たち』『十五少年漂流記』『悪魔の発明』などの科学・冒険小説を書いた後、1905年3月、糖尿病のため、仏国北部の街アミアンで没した。77歳だった。

ジュール・ヴェルヌの成し遂げたことはまさに偉業だと思う。ロケット、潜水艦、ミサイル、世界旅行、宇宙旅行……人類はみな、ヴェルヌが書いた夢と冒険の実現を目標に文明を発展させてきた、そんな気さえする。

自分は二十代のころ、「八日間世界一周」をしたことがある。北まわりでパリへ行き、帰りは南まわりで帰ってきた。飛行機に乗っていたら、地球を一周していただけだけれど、やっぱり地球はヴェルヌの小説のように、気球に乗ったり、象に乗ったりして八十日かけてまわるのがほんとうだと思う。
(2014年2月8日)


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