10月10日・野坂昭如のタフネス
10月10日は、針金細工のように細長い彫刻で知られるスイスの彫刻家、ジャコメッティが生まれた日(1901年)だが、作家、野坂昭如(のさかあきゆき)の誕生日でもある。
自分が野坂昭如の名前を知ったのは、高校生のころで、作家、丸谷才一のエッセイを読んでいてだった。野坂は、丸谷の高校の後輩で、あるとき二人が飲んでいると、
「黒メガネの青年(野坂)は、自分がいかに女の子にもてないかといふ話をたてつづけにする。わたしは大喜び。が、ふと気がつくと、彼の隣りに美貌の少女が来てゐて、やがて彼はこころもちどもりながら、
『この人と結婚しますから、仲人になつて下さい』
と言つたのである。」(丸谷才一『低空飛行』新潮文庫)
おもしろい人だな、と自分は思った。
野坂昭如は、1930年、東京で生まれた。父親は土木技師で、後に新潟県の副知事になった。昭如が生まれる直前に、両親が別居し、母親は彼を産むと間もなく没した。生まれたばかりの昭如は、神戸へ養子に出された。
戦争中には、疎開した先の福井で、妹を栄養失調で亡くした。このときの体験が後に『火垂るの墓』となった。
終戦後の17歳のとき、盗みをはたらいて捕まり、少年院送りとなったが、新潟にいた実の父親が保証人になって、身請けされた。
旧制新潟高校に入ると、彼が在学中に学制改革で学校は新制新潟大学となった。野坂は大学を退学。上京して、早稲田大学の仏文科に入学した。
在学中から放送用の台本や、コマーシャルソングの歌詞を書くようになり、26歳の年に大学を中退。テレビ番組用のコントや、雑誌に文章を書くようになり、33歳のときに小説『エロ事師たち』発表して小説家となった。
37歳の年に『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞。「焼跡闇市派」を標榜し、遅れてデビューした「大陸引き揚げ組み」の五木寛之と並び、若者たちに広く読まれるベストセラー作家として一時代を築いた。
52歳のとき、参議院選に出馬して当選。しかし、その半年後に、衆議院選に出るために参議院を辞職。当時、ロッキード事件で係争中だった田中角栄元首相の選挙区である新潟三区から出馬した。そして、田中は当選し、野坂は落選した。
野坂は、歌手としてレコードも出し、コマーシャルにも出演する人気者だったが、73歳のころ、脳梗塞で倒れ、リハビリ生活のかたわら、執筆活動を続けている。
丸谷才一は、野坂昭如の出た旧制新潟高校の四、五年先輩にあたり、そのつてをたどって、野坂は出版業界へ紹介してもらった経緯があったらしいと、どこかで読んだ。出版社の文芸編集者と会うのに、下駄をはいていけと、丸谷はアドバイスしたという。
これも記憶で書くのだけれど、デビュー作『エロ事師たち』を褒めてくれた先輩作家たちのなかに、三島由紀夫がいて、三島は野坂の才能を絶賛し、しばらくは新聞や雑誌の連載は断り、じっくり腰を据えて書いたほうがいと、野坂にアドバイスしたらしい。野坂は三島の激賞や忠告に感謝しながらも、節操なく、すぐに連載の話を引き受けてしまったと、野坂がどこかで書いていたと思う。さすが「焼跡闇市派」で、流儀や作法などおかまいなしで、ぬけぬけとタフに生き抜く、肚のすわった作家だと、自分はかえって感心した。
(2013年10月10日)
●おすすめの電子書籍!
『10月生まれについて』(ぱぴろう)
野坂昭如、川久保玲、会田誠、織田作之助、クレッチマー、ビル・ゲイツ、ガンディー、ボーア、ジョン・レノン、ニーチェ、ワイルド、リタ・ヘイワース、ベルクソン、ランボー、ピカソ、リキテンスタイン、ハレー、ルルーシュ、など、10月生まれの人物論。人気ブログの元になった、より詳しく深いオリジナル原稿版。10月生まれの生きる意味を問う。
『出版の日本語幻想』(金原義明)
編集者が書いた日本語の本。編集現場、日本語の特質を浮き彫りにする出版界遍歴物語。「一級編集者日本語検定」付録。
www.papirow.com