10月5日は、「ロケットの父」ロバート・ゴダードが生まれた日(1882年)だが、仏国の作家、ディドロの誕生日でもある。大百科事典『百科全書』の著者・編者である。
自分は以前、英語のテキストを読んでいて、こんな格言を見つけ、感心した。
「けっして後悔しないこと、けっして他人を非難しないこと。これが知恵への第一歩である。(Never to repent and never to reproach others; these are the first step of wisdom.)」
この文句を言ったのがディドロという人で、自分はそれで彼の名をはじめて知った。
ドゥニ・ディドロは、1713年、仏国シャンパーニュ州のラングルで生まれた。父親は裕福な刃物作りの親方だった。
13歳のころ、ドゥニは僧侶になろうと剃髪したが、15歳のとき、パリに出て上級学校に進学すると、数学とラテン語、ギリシャ語のおもしろさに目覚めた。
19歳のとき、古典と哲学の教授資格を得たディドロは、教師にはならず、法律事務所に勤めはじめた。しかし、彼はイタリア語、英語、ヘブライ語と数学の勉強に熱中するばかりだった。母親から小遣いをもらい、家庭教師をし、友だちから借りまくり、ときには空腹のあまりに失神しながら、本ばかり読んでいたディドロは、30歳のときに結婚した。生計を立てる必要から英語からの翻訳を請け負うようになった。
そしてディドロはダランベールとともに『百科全書』の出版準備にとりかかった。これは科学や技術など人類の知識全般について最新の情報を網羅する百科事典だったが、予約を募ると、たちまち1400人の講読予約が集まった。ディドロは、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーといった有名人を含む多くの書き手に各分野の原稿を依頼し、みずからも原稿を書きながら編集作業をこなし、37歳のときにその第一巻を出版した。
『百科全書』には、形而上学や哲学などの項も含まれており、人々に自立と反抗心を植えつけ、王権を破壊するものだとして、原稿の差し押さえや配布の禁止命令など、さまざまな妨害にあい、続巻の出版は困難をきわめた。ディドロは官憲の追及から逃げながら、生活維持のために原稿料の値上げを出版社に催促しながら、事典作りに没頭した。ダランベールが編集を放りだし、ルソーらがつぎつぎと逃げだしていくなかで、ディドロはひとり踏みとどまり、執念をもって執筆と編集を続けた。
そうして、彼が59歳のとき『百科全書』全28巻は完結した。人々の意識を変革する上で画期的な役割を果たした啓蒙主義の金字塔だった。
ディドロは哲学者、小説家としても著作があり、18世紀最高の小説とも言われる『運命論者ジャック』のほか『ダランベールの夢』『ブーガンヴィル航海記補遺』などを書き、1784年7月に没した。70歳だった。
ディドロの『百科全書』完成にかける執念はみごとだと思う。彼がいなかったら、この大事業は途中で挫折していたか、開始以前に企画倒れになっていたにちがいない。
自分は編集者として実用書を作ってきたのでわかるけれど、企画先行の本を作る場合、たった一冊の本を作ろうとしても、ことはそうかんたんには運ばない。編集者がみずからの足で困難の森に分け入り、自分の手で枝をはらい、ぬかるみから這い出、大きな岩を乗り越え、と、あらゆる困難を乗り越えていかなければ、完成はおぼつかない。ディドロが担ったのは、そういう役割だった。しかも、政府の弾圧のなかで進めた全28巻の執筆、編集作業である。かなりの分野の執筆を担当し、すべての分野の原稿に手を入れたその博学ぶりもさることながら、いったん飲むとなったら、最後の一滴まで飲み干そうとする、その強い意志と行動力にはつくづく頭が下がる。
(2013年10月5日)
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