7/2・ヘルマン・ヘッセの透明な魅力 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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Something to remember today. 今日の日が流れて消え去ってしまう前に。

7月2日は、映画女優、浅丘ルリ子が生まれた日(1940年)だが、独国の詩人・作家、ヘルマン・ヘッセの誕生日でもある。
自分は学生時代からヘッセは好きで、よく読んでいた。当時、下宿のとなりの部屋にいた赤穂出身の理系の学生がヘッセの文庫本をたくさん持っていて、となりから借りてきては読み、返してまたべつのを借りた。『車輪の下』『婚約』『流浪の果て』など、美しい印象があって、なつかしい。

ヘルマン・ヘッセは、南ドイツのカルプで、1877年に生まれた。父親はロシア人で、プロテスタントの宣教師だった。母親はインドで生まれたドイツ人宣教師の娘だった。
生まれたときから宣教師になるよう期待されていたヘルマンは、14歳で神学校に入学した。が、13歳のときから、詩人以外の何者にもなりたくないと思い詰めていた本人にとっては、神学校の寄宿舎暮らしは窒息的な生活で、入学して半年すると脱走。いったんは連れ戻されたが、15歳になる前に退学し、牧師のもとに預けられた。
ピストルを買ってきては自殺しようとするヘッセは、べつの高校へ入学しても、1年続かずに脱落。書店で働くと逃げだし、庭仕事をした後、17歳のとき、町工場に勤めだした。この時期の、なにをやってもだめな、詩人志望の落ちこぼれ体験が、後に名作『車輪の下』として結実した。
18歳のとき、書店の店員となり、働きながら詩や小説を書くようになった。
27歳のとき発表した『郷愁(ペーター・カーメンチント)』によって、一躍文名が高まり、29歳で『車輪の下』を発表。
35歳のとき、スイスへ移り、以後、『クヌルプ』『青春はうるわし』『デミアン』『シッダールタ』『ガラス玉遊戯』などを発表し、69歳のときノーベル文学賞を受賞。
1962年8月、スイスのモンタニョーラで没した。85歳だった。

学生のころに読んだヘッセの作品は、たいていおもしろかったが、世評高い『デミアン』は、自分はあまりピンとこなかった。その文庫本をとなりの部屋に返しにいくと、
「どやった?」
と赤穂出身の学生が尋ねてきた。
「うーん、あんまり。ぴんとこなかった」
と答えると、彼がこう言ったのをよく覚えている。
「なっ、そやから言ったやろ、あんまりおもろないでって」
でも、それ以外は、みんな、ぴんときた。

赤穂の愉快な隣人とも離れ離れ、音信不通となった。で、仕方なく自分で集めだし、いまでは自分もヘッセの文庫本をたくさん持っている。
ヘッセの作品は、作品ごとに味わいはそれぞれちがうけれど、どれも、ある澄んだ美しい読後感が残ることで共通しているように思う。

ヘッセに「春」という詩がある。

「若い雲が静かに青空を走って行く。
 子どもたちは歌い、花は草の中で笑う。
 どちらを見ても、私の疲れた目は、
 本で読んだことを忘れたいと願う。

 ほんとに、本で読んだむずかしいことは
 みんな溶け去って、冬の悪夢に過ぎなかった。
 私の目はさわやかに癒されて、
 新しいわきでる造化を見つめる。

 だが、凡そ美しいもののはかなさについて
 私自身の心の中に書き記されているものは
 春から春へながらえて
 どんな風にも吹き消されはしない。」(高橋健二訳『ヘッセ詩集』新潮文庫)

ヘッセっていいなぁ、と思う。自分にとっては、透き通った、不思議な魅力で、この不思議さは不思議なままとっておきたい、そう思わせる性質の魅力である。
(2013年7月2日)



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