6/22・アン・リンドバーグの精神性 | papirow(ぱぴろう)のブログ

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6月22日は、『樅ノ木は残った』を書いた小説家、山本周五郎が生まれた日(1903年)だが、女流飛行家、アン・リンドバーグ(リンドバーグ夫人)の誕生日でもある。
自分がはじめて「リンドバーグ」の名を知ったのは、小学生のときに、FBIの犯罪ドキュメントを読んでいてだった。リンドバーグ夫妻の1歳8カ月になる長男が誘拐され、遺体となって発見された事件である。そこから、被害者の父親のリンドバーグは、ニューヨーク=パリ間をはじめて無着陸で飛び、大西洋横断飛行をなし遂げた有名なパイロットだと知った。さらにその後で、夫人について知った。リンドバーグ家の人々に関する自分の知識吸収の順序は、すこしおかしいかもしれない。

後にリンドバーグ夫人となる、アン・スペンサー・モロウは、1906年、米国のニャージャージー州エングルウッドで生まれた。父親はJPモルガンの共同経営者で、母親は詩人で教師だった。
米国東部の名門七女子大のひとつ、スミス・カレッジに入学したアンは、在学中の21歳のとき、大西洋横断飛行を成功させたばかりの25歳のチャールズ・リンドバーグに出会った。
二人は結婚し、彼女はアン・モロウ・リンドバーグ(リンドバーグ夫人)となった。彼女が23歳になる直前のことだった。
結婚後、アンは空を飛びだした。グライダー免許を取得し、夫の副操縦士として、また、ナビゲーター、通信係、航空地図作成者として活躍した。リンドバーグ夫妻は単発エンジンの飛行機で、まだ未知の航空路だったカリブ海域のルートを切り開き、「カナダ・アラスカ・日本・中国」ルートを飛び、北大西洋と南大西洋の航空地図を作った。
夫とのあいだに6人の子をもうけたアンは、飛行機乗り稼業のほか、大戦後は欧州の戦地の罹災者の救援活動に従事し、また、紀行やエッセイ、小説を書く文筆家としても活躍した。
アン・リンドバーグは2001年2月、脳卒中のためバーモント州で没した。94歳だった。

1950年代のはじめごろ、40代のなかばだったアン・リンドバーグは、フロリダ州のカプティバ島で休暇をすごした際、浜辺の貝を取り上げては話しかけるというスタイルで、米国女性の人生、生き方、恋、結婚、平穏、孤独についてのかなり抽象的な思考をつづった。それが随想録『海からの贈物(Gift from the Sea)』で、この書は発売されると世界的なベストセラーになった。この書は、澄んだ冷たい水のなかから取り上げた水晶のかけらを思わせる名品で、自分などは、心に染み渡るような精神性を感じる。拙著『名作英語の名文句』でも取り上げた。

「忍耐が第一であることを海は我々に教える。忍耐と信仰である。我々は海からの贈物を待ちながら、浜辺も同様に空虚になってそこに横たわっていなければならない」(吉田健一訳『海からの贈物』新潮文庫)

「我々が誰かを愛していても、その人間を同じ具合に、いつも愛している訳ではない。そんなことはできなくて、それができる振りをするのは嘘である。しかしそれにも拘らず、我々はそういうふうに愛されることを要求していて、我々は生活や、愛情や、人間的な関係の満ち引きに対してそれほど自信がないのである」(同前)

ソローの『ウォールデン(森の生活)』から百年以上たってようやく、同じ米国に、今度は森でなく海辺で、女性の手によって、その精神性を受け継ぐ書が現れた、という気がする。1955年に発表されたこの本のあちこちに、60年代、70年代に花開くことになる女性解放運動の芽が、すでにほころびはじめているのを自分は見る。
(2013年6月22日)



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