5月25日は、「ニットの女王」ソニア・リキエルが生まれた日(1930年)だが、米国の思想家兼詩人、エマーソンの誕生日でもある。
エマーソンは、南北戦争のころに生きた詩人である。
自分はときどき米国の歴史書を読む。すると、エマーソンの詩が引用されているのによくぶつかる。それで、エマーソンという、精神的に大きな、えらい人がいたと知った。
ラルフ・ウォルド・エマーソンは、1803年、米国マサチューセッツ州ボストンで生まれた。父親はユニテリアン派の牧師だった。
14歳のとき、 ハーヴァード大学に入学。大学生のころから詩を書きだした。大学卒業後、エマーソンは女学校の校長を務めたり、自分の私塾を開いたりしたが、23歳のころ、体調をくずし、暖かいフロリダへ転地療養に向かった。その地ではじめて奴隷のオークションを目撃した。
マサチューセッツにもどったエマーソンは、26歳のころから教会の牧師として働きはじめた。が、やがて古い儀式を墨守するだけの教会に疑問を持つようになり、29歳のとき、牧師を辞めた。
彼はヨーロッパ旅行に出発し、J・S・ミル、ワーズワース、カーライル、コールリッジなどと交流を深め、30歳で米国に帰ってきた。帰国後、エマーソンは、講演家となった。一回の講演に10ドルから50ドルの講演料をとって、自然、人生、社会などさまざまな演題で話してまわった。そして、講演会での話を本にして出版した。
33歳のときから、彼はマサチューセッツの、志向を同じくする知識人の仲間で「トランセンダリスト(超越主義者)」のクラブを作り、定期的に集まるようになった。『ウォールデン』を書いたヘンリー・ソロー、ブロンソン・オルコット(『若草物語』の作者の父親)、ジョージ・リプリーらが顔を見せ、女性運動家のマーガレット・フラーも参加した。フラーは、彼らの雑誌「ダイヤル」の編集者としても活躍した。
講演家、著述家として有力だったエマーソンだったが、60代の後半から記憶力が衰えだし、しだいに物忘れがひどくなり、やがて自分の名前も忘れるようになった。公衆の面前に出なくなった彼は、1882年4月、肺炎により没した。78歳だった。
エマーソンは、『バガヴァッド・ギーター』を読み、インド思想に深く共鳴していた。彼は、人間一人ひとりの内にある魂、精神に絶対の信頼を置き、それを型にはめてゆがめようとする社会の制度や組織を批判的に見た。もちろん奴隷解放論者だった。
自分は、エマーソンら、トランセンダリストの考え方には、強い共感を覚える。彼らの考え方は、私心がなく、洗練されていて、人間としてとても進化していると感じる。
だから、何について考えても、つい、民族主義的、血縁主義的な傾向がにじみでてしまう、島国根性の強い日本人一般には、彼の思想は共鳴しづらい部分があるかもしれない。
エマーソンのことばに、つぎのようなものがある。
「あなた自身でいること。絶えずあなた以外の何かにならせようとしてくるこの世界で、あなた自身でいることは、最高の偉業である」
(To be yourself in a world that is constantly trying to make you something else is the greatest accomplishment.)
「きみがいったん決心する。すると、全宇宙がそれを実善しようと画策しだすのだ」
(Once you make a decision, the universe conspires to make it happen.)
力強いことばで、励まされる。
(2013年5月25日)
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