3月1日は、マーチ(March、3月)のはじまりというわけで行進曲の日だそうだが、ピアノの詩人、ショパン(1810年)、ジャズ界の巨人、グレン・ミラー(1904年)の誕生日であり、また、短編小説の名手、芥川龍之介の誕生日でもある。
自分が生まれてはじめて買った個人全集は、芥川龍之介全集だった。各巻の表紙に芥川の描いた画が入った岩波の新書判の全集で、学生のころ、古本屋で20冊揃いで、たしか1万2000円だった。
いま、同じものが、東京あたりの古書店で3000円から5000円くらいで出ているのを、ときどき見かける。
自分としては、
「ついに芥川龍之介の全著作が、自分の部屋に。いつでも好きなときに、ちょっと手を伸ばせば、芥川の書いたものが読めるのだ」
と、興奮して、全集を入れた紙袋を大事に抱えて下宿にもどったのだが、となりの理学部物理科の先輩には、
「それはよかったねえ。でも、ぼくなら、注釈付きの小説全集が出ているから、そちらにするけどねえ。そっちのほうが安いし」
と冷や水を浴びせられた。同い年の経済学部生は、
「それはそれは。ほう、それで、1万2000円かぁ。ふーん、世のなかには、いるんだねえ」
と不思議そうな顔をした。
教育学部の女子学生は、
「芥川龍之介? 暗くなっちゃいそうだから、わたし、読まなーい」
と言って笑った。
ああ、縁なき衆生は度し難し、である。
芥川龍之介は、1892年に東京で生まれた。辰年、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたところから、龍之介と名付けられた。龍之介が生後8カ月のとき、母親が発狂。これが、芥川の心、そして作品に、特殊な影を落とすことになる。
芥川は早熟で、10歳のころには、泉鏡花や馬琴、近松を読みあさっていたという。
秀才だった彼は、一高、東大へと進み、東大在学中に、「帝国文学」誌上に短編小説『羅生門』を、「新思潮」誌上に短編『鼻』を発表し、夏目漱石に激賞され、新進作家として華々しいスタートをきった。
「人生を銀のピンセットでもてあそんでいる」と言われた知的分析の鋭い文章と、古今和漢洋にわたる博識、そして芸術至上主義的な立場を明確にした作風で、絶大な人気を博し、『戯作三昧』『地獄変』『枯野抄』『藪の中』『大導寺信輔の半生』『点鬼簿』『河童』『歯車』『或阿呆の一生』など、歴史に残る名短編を量産した。
しかし、しだいに心身ともに衰弱しだし、1927年7月、服毒自殺。35歳だった。
自分が生まれてはじめてもらった原稿料は、学生時代に書いた、友人の提出用論文の代筆で、課題は「芥川龍之介論」だった。四百字原稿用紙一枚500円で、4枚書いたと思う。
「好きな作家のことが書ける」
自分は張り切って自分の芥川論を展開した。友人が受けていた講義の方向性も聞いた上で書いたが、その講義での説を踏まえつつ、あえてそれに反対する論を展開した。
「教授の怒りを買って、落とされたら、ことだな」
と思っていたが、ちゃんと「優」をくれたそうで、それを聞いて肩の荷がおりた。
自分は、芥川龍之介についての評論や、長男の芥川比呂志が書いた文章、あるいは、妻の語り下ろしや、長男の嫁が書いた本なども、だいぶ読んできた。
そうして、小説作品からはなかなかうかがえない、芥川龍之介の、家族に対する愛情あふれる一面や、他人に対する思いやりある一面、あるいは誠意に満ちた一面なども、知るようになった。
横光利一は、芥川についてこう言っている。
「逢ふと必ず志賀直哉を賞めてゐた人。私は芥川氏の親切な心だけにより逢はなかつた。皮肉には一度も逢はない(「控へ目な感想(三)」『横光利一全集 第十一巻』河出書房)
芥川龍之介という人は、ほんとうに思いやりに満ちた人で、細かなところに気がつき、何かにつけ相手のためになるよう心配りをする「いい人」だったらしい。
こんなに才能があって、頭がきれて、文章がうまくて、気づかいが細やかで、愛情にあふれたやさしい人が、そんな若さで死んでしまったことを思うと、自分が生きていていいのかしら、と、そんな気がしてくる。
でも、実際には逆で、頭がきれて、気づかいが細やかで、愛情にあふれたやさしい人だったら、そんなに長生きできないだろう、という気もする。
なかなか、生きづらい世のなかである。
(2013年3月1日)
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