「キ」を追いかけて押戸石へシリーズも8回目となり、ついに最終回…ヾ(*´∇`)ノ♪
歴史好きの祖父と日本の歴史を調べていくうちに、日本中の地名や人名に「キ」が多数散りばめられていることがキになりはじめ…
熊本阿蘇にある押戸石遺跡に、その「キ」の源流があるに違いないとフィールドワークへ出掛けて行き…
「キ」という大地の神の存在を知り…(その大地の神を鎮める「押戸石の火伏せ神事」についても考察![]()
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その「キ」という神は、日本の最古神で、世界の創造と深く関わりのある神であったことも知りました![]()
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そして、その「キ」は、宇宙神天神アン(天照神)の奥さんであり…
ニンフルサグであり、イナンナであり、ヒミコであり、瀬織津姫であり…龍神様ではないのかな?…と、思いました。(魂が一緒、或いは伝えられ方や国の違い)
そして…
その事実を人々は、「キ」という一文字に託して、人名や地名に暗号のように入れ込み、代々人々に、ソっと伝えて来た…
でもっ!(。・`з・)ノ
ここで問題にしたいのは、なぜソっと伝えなければならなかったのか?
ということ。
暗号のようにコソコソと…![]()
それは、このこと…つまり日本の最古神の存在を大っぴらには言うことが出来ない、何か深い事情があったに違いないと思いました。
その「深い事情」とは何ぞや?
何があった!?
日本の歴史最大のタブー…
その秘密を解くカギではないのかな?と思われる一文が日本書紀に書かれていています。
それは…
「蛇(おろち)と犬と相交(つる)めり。俄(しばらく)ありて倶(とも)に死ぬ」
→「蛇と犬が仲良く死んだ」
というもの。
この謎めいた暗号のような文は、前後の脈絡もなく唐突に現れているそうなのです。
これが一体何を意味するのか…
今回はその秘密にソッと迫っていきたいと思います!(人´▽`*)♪
(また長い![]()
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縄文人が弾圧された痕跡~甑(こしき)神社
今回の阿蘇旅行で最後に訪れた、甑(こしき)神社…
ここは、地元のタクシーの運転手さんに尋ねても首を傾げられるほど、目立たない、人知れずひっそりと佇む小さな神社です。
でも、ここにはどうしても行きたかった![]()
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なぜなら、ここには、「キ」…つまり日本の最古神がなぜ隠された存在となったのか…その理由のヒントが隠されているからです。
運転手さんにやっと見つけて頂き、いそいそと向かう私の後ろから「そんなにスゴイとこならオレも見てみたい」と言ってなんと運転手さんも付いてきました( ; ゚Д゚)エー!
長男と運転手さんと私の三人で急いで神社に向かいます![]()
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入口で、まず目に飛び込んで来たのは階段にあるこの風景↓



上に乗っているものには目もくれず、ひたすら「台座」を調べまくる…(^o^;)
よく見ると押し潰された盃状穴の痕跡が見られるのだといいます。
つまり、侵略してきた征服者たちは、原住民が大切に信仰してきた巨石(磐座)を否定し、封じ込めるように、自分たちの信仰する神をその上に置き、それを拝むことを強要したらしいのです。
でも、それは遠い外国の話ではなくて…
日本でも同じようにそのことが行われていた…![]()
古代日本を侵略しに来た征服者たちは、原住民が信仰していた巨石の磐座を覆い隠すように教会ならぬ「神社」を置いた。
そして、甑神社では、地元民が信仰の対象として大切に拝んでいた盃状穴の岩をあろうことか階段にして人々に踏ませたのです。
ひどい…( ノД`)…
そして、征服の証として日本中にある磐座の上に容赦なく神社が建てられていった…(注:乗っ取られた側がそのスタイルに合わせ、隠れ蓑として磐座を守るために建てられた神社もある)
なのでペトログリフ研究家の武内一忠先生は、神社に行くとそこにある絢爛豪華な神殿には目もくれず…![]()
それらが乗っかる台座や神殿の背後に注目し、古代の神の痕跡を探すのだそうです。(だから、神社の後ろにパワーがあると言われるのかも🤔💦)
古代日本にやって来た勢力は、大きく分けて5つあったそうです↓
第1グループ:シュメール王族とお供のケルト人、マガン族
第2グループ:モーセと出エジプトしたヘブライ王族とマガン族
第3グループ:ソロモン王族とビジネスパートナーのフェニキア人、ケルト人
第4グループ:北イスラエル王族10部族
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第5グループ:イスラエルの南ユダ王族2部族、ペルシアのスサのダリウス王族
第4グループまでは、多神教を受け入れ、縄文の人々と同化して溶け込み、仲良く楽しくやっていたらしい…
ところが…
第5グループの南ユダ王族の一団は違っていた…
バビロン捕囚によって国を追われた南ユダ王国の王族たちは、ペルシアのスサの王ダリウス(スサの王なのでスサノオ)に助け出され一緒に日本にやってくる。
→ペルシアに居場所がなかったため
(スサノオはすごく古い話になっているが、実は一番新しく、最後に来た勢力。全部逆さまになっている。→武内先生談)
この第5グループ、南ユダ王族とスサの王(スサノオ)によって日本は侵略され、元々いた縄文の人々は追い詰められていくらしいです。
そして、侵略して来た勢力…ヤマトと縄文の人々との間を取り持ったのが猿田彦と言われているそうで…
(だから猿田彦の石碑が置かれている)
(余談ですが、「でもこの台座はどう見ても6500年前のものではないですよね
」という突っ込みが入りそうですが、この台座が作られたのはもちろんそんなに古くはありません。これは、どういうことかというと、恐ろしいことにその侵略者の支配と影響力は、変わらずずっと続いていて、現代に至っても太古からの縄文系の人たちを弾圧し、私たち日本人を騙し続けている…ということを意味しているのです。)
猿田彦に「悪いことは言わないから、ヤマトの仲間になっちゃいなよ!」と、説得され…
元々戦うのが嫌いな縄文の人々は、仕方なくヤマトの仲間に→これが物部(もののべ)となる。
絶対にそんなのは、嫌だ!![]()
と、抵抗した人たちは山へ山へと逃げて「鬼」や「妖怪」にされた…![]()
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そして、逃げた方も仲間になった方も徹底的に弾圧されていく…
それが、冒頭で書いた日本書紀の例の記述…
「蛇と犬が仲良く死んだ」
に、繋がっていく(詳しい説明は追々…)。
大切にしていた磐座も隠され、そのパワーを封じ込めるために上に神社が建てられてしまう…
だから、日本の神社と古代イスラエルの幕屋は似ているのかもしれない…🤔💦
また、ご報告します!![]()
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