





もう、だいぶ前の話になりますが…
今から20年ほど前のことです…
久しぶりに横浜の中学時代の友達と会うことになって出掛けて行きました。
居酒屋風のお店をちょっと覗いたら、怖そうな人たちがいっぱいいて入りずらそうな雰囲気…
なので、このまま帰ろうかなと思ってUターンすると、後ろから懐かしい声が…
「papiponさん、お久しぶりっす」
見るとスカジャンに薄青いサングラスを掛けた怖そうなお兄さんがピョコンと頭を下げて立っていました。
よく見ると、いつも苛められてばかりいたKちゃんでした。
「そんなとこにいないで早く入りましょうよ。」
と、Kちゃんに引きずられるようにお店の中に入ると、町で会ったら避けて通るような怖そうな人たちがいっぱい座って待っていました
完全に場違いな雰囲気です
私の顔を見るなり、皆ビックリ…
「久しぶりー!全然変わらないね~!」と、変わり果てた人たちに笑い掛けられ緊張はマックス…。
固くなって恐々席に着くと、「東京に引っ越してからどうしてたの?」と皆、私に質問して来ました。
どうやら、中学2年で引っ越して、それっきり地元に戻らない私が、今どうなっているのか会ってみたい…という意図の飲み会だったようです
隣の席に座った男が、馴れ馴れしく私の肩に肘を乗せて来ました。
すると、一人が「おまえ、papiponさんにそんなことしていいのかよ!」と、驚いた顔をして言いました。
「いいんだよ。こいつスゲ~変わったんだぜ。
お前らも今なら何でもやりたいようにやって大丈夫だから。」
と、笑いました。
私は、小学生の時から大変な問題児で、4~6年生までの3年間は、私のせいで、ずっとクラスは学級崩壊していました。
不良とかではなくて、とにかく言うことを聞かない子だったのです。
運動会をやると言われれば、何でやるのか意味が分からない、絶対にやりたくない、とゴネ…
球技大会、マラソン大会等々も同じようにゴネてボイコットをしました。
(今となっては、なぜそんなことをしたのか…昔の自分をまるで別人のように傍観してしまうのですが…
)
他の生徒たちも釣られて騒ぐので教室内は、収拾がつかない事に…
当時の私はとにかく怒りの塊で…
怒って喧嘩ばかりしていました。
家が病院だったので、毎日のように「病院!病院!」と、イジメられ…
しかも2才年上の姉がとても優秀で美人だったため、いつも比べられ…
家でも頭が悪く顔も可愛くない私はバカにされて家族から相手にもされず…
そんなこんなで何もかもが面白くなく嫌になって、ヤケクソになっていたのです
当時担任だった先生は、4回言われても直らない奴は「犬」になる…という事で…
一回注意される度に一画一画出席簿に文字を書き足して行き、4回悪い事をすると犬という字を完成させていたのですが(ひどいっさすが昭和!)、私の欄を見ると「犬犬犬犬犬犬犬…」と犬という字が名簿欄からはみ出て延々と書かれていました。
小学校を卒業する時、担任の先生は私に向かって
「あなたは将来、決してろくな大人にならない。」
と、睨み付け、呪いの言葉を吐き捨てて退職していきました。
今にして思うと本当に悪い事をしたな…と、思いますフカクハンセイ
(そんな私が、まさか将来「図書指導員」として小学校で「先生」と呼ばれる立場になろうとは、この時の大人たちは誰一人として予想だにしていなかっただろうな~と、思うと感無量です。)
中学生になると、怒りは更に加速して、手がつけられなくなっていました。
でも、ある時、不良にイジメられていた子が「ちゃきん」にされていて(スカートを捲って上で縛られている)、皆怖がって誰もほどけなかったのを私がほどいてあげたのですが、すぐに不良たちがやって来て囲まれ脅されたという出来事がありました。
でも、私は毎日ヤケクソになっていて何も怖いものはなく、友達もいらないし、高校だって行かなくていいと思っていたし、なんなら腕の1本や2本なくなっても構わない、本気で死んでもいいくらいに思っていたので、そういう人間が本気で怒ると本当に怖いらしく、不良たちはすぐに行ってしまいました。
正直拍子抜けする位弱虫でした。
その時、初めて気が付いたのですが、「人をイジメる人」というのは、ビックリするほど「弱い」んだ、ということでした
そして、イジメられっ子には大変感謝されました。
周りからはいつも「悪い子」と批判されてばかりいたので、感謝されるなんて初めてのことで、本当に嬉しかったのを記憶しています。
その時から、私の怒りの捌け口が「イジメっ子」になりました。
「イジメられっ子」には感謝されるし、ストレスは解消されるし、一石二鳥でとてもいい中学生生活を送っていました。
そして、中学2年のある日のことでした。
朝のホームルームに、当時担任だった若い男の先生が、難しい顔をして教室に入って来ました。
「今からみんなに大切な話をする。
お前らも相当悪いが、お前らなんかよりももっとすごいのがこのクラスに転校してくることになった。」
と、皆に向かって言いました。
「コイツはカンカン(鑑別所)送りになったホンモノだ。
相当ヤバい奴だ。
でも、俺は絶対に甘やかさない。
お前らも絶対にソイツのワガママを許すな!」
と、ゲキを飛ばしました。
教室中がザワつきました。
みんな怖がったり、怒ったり、嫌がったり…
その話を聞いていて、私の怒り虫がまたムクムクと動き始めました。
そして、大きな音を立てて席を立つと、
「さっきから聞いてたら勝手な事ばっかり言って!
まだ、一度も会ったことないのにそんなに悪口言われてたら、その子もほんといい迷惑だよっ!」
と、強い口調で説教しましたイタイヒト
すると、先生は、「本当だ!papiponの言う通りだ!
先生が悪かった。
まだ、会ったこともないのに悪い奴だと決めつけて…
ソイツが来たらみんなで温かく歓迎してやろうぜっ!」
と、言い、クラス中の不穏な空気が一変して融和ムードになりました。
港近くの横浜の人たちは、とても乱暴で感情的でケンカっぱやいですが、皆単純でいい人たちばかりなので、すぐに私の話に納得してくれて、先生も反省してくれたのです。
そして、ついにその子が転入してくる日がやって来ました。
クルクルパーマをかけた、お人形さんみたいに小さくて可愛い女の子でした。
予想外の見た目に皆驚いたのですが、当の本人はものすごい仏頂面でクラス中の生徒を睨み付けて仁王立ちしています。
でも、皆はすでに融和ムードとなっているので、すぐにその子を取り囲み大歓迎して親切に話し掛けました。
そして、皆、一生懸命にその子のお世話をしました。
クルクルパーマの転入生は、ものすごく戸惑った顔をしていましたが、やがて皆と打ち解けてとても嬉しそうな顔になっていきました。
私は、その様子を見て「良かったな~」と、心からホッとしていました。
クルクルパーマの転入生は、私にもとても懐いて来ました。
でも、ずっと敬語だったので戸惑い、
「他人行儀だな~。タメなんだから、タメ語でいいのに…」と、言うと
「ダメっす。」と、言ってガンとして敬語を使っていました。
しばらくすると、父が病気で倒れ、家の病院を急にたたむことになり、転校することになったのですが、その時も「忘れないっす」と、言って可愛いヒヨコの人形を私にくれました。
なぜか、人形にサインペンで直書きで「お元気で」と、書いてあり、その天然ぶりにちょっと笑ってしまいました。
その後、その子には一度も会うことはありませんでした。
…そんな感じの横浜での中学校時代だったのですが…
飲み会で隣の席に座った男が
「それにしても、お前調子に乗ってあんなことして、どうして学校で無事でいられたと思ってんの?」
と、私に向かって呆れたように聞いて来ました。
「え?なんの話?」
私は、何も知らなかったのでキョトンとして聞き返しました。
それを聞くと、
「おい!コイツ何にも知らないみたいだぜ!」
と、皆に向かって笑いました。
聞けば、私に抑え付けられていた不良たちが、生意気な私をシメてくれるように、皆で集まって裏番の番長に頼みに行ったそうなのです
私は、背筋が凍りました。
当時、裏番の「シゴキ」は相当なもので、やられた人たちを何人か知っていますが、皆それっきり廃人となり、口もきかず、以来人が変わってしまうというほどのショックを受ける…それほど大変なものでした。
よく、学校のトイレには、「シゴキ用」と書いたトンカチやら得たいの知れない道具が沢山転がっていました。
便器に顔を押し付けられたり、カミソリで顔を切られたり、タバコでヤキを入れられたり…
それを私がされるところだったとは…ヒー
「え、どうして私は、無事だったのかな?」
と、慌てて聞くと、
「あのクルクルパーマ覚えてんだろ?」
「あー、あの転校生の?」
「あいつが裏番の番長だったんだよ。」
「えーーーっ!」
私は、本当に驚きました。
私には、とても静かで大人しく、そんな風なところは微塵も見せなかったからです。
「不良どもがお前をシメてくれって頼みに行ったら、クルクルパーマが「あいつは神様だからあいつだけはやらない。お前らも男だったら自分でやんな。ダラしねーなー」と、言ったんだと。」
"裏番の神様"の話は、すぐに学校中の不良たちの間に轟き渡り…
そして、私は、知らず知らずのうちに裏番の後ろ楯を背負って、手出しの出来ない不良たちを益々のびのびと調子に乗って抑え込んでいたようなのでした。
クルクルパーマは、自分が転入する前の、あの、クラスでの一悶着のあらましを誰かから聞いて、自分がなぜこんなにもクラスのみんなに歓迎されたのか謎が解け、私に恩義を感じていたようなのでした。
でも、その子は、そんなことは、一言も私に言いませんでした。
それにしても、まさに、「情けは人の為ならず」…。
私は、その話を聞いて、しばし放心状態となりました。
人って、こんな風にして、知らず知らずのうちに守られていることがあるものなんだな…と、感動した出来事でした。