キリスト教界では、真偽のほどが定かではないため、いまだに議論の的となっているのが『聖霊のバプテスマ』現象。

『聖霊のバプテスマ(いわゆるペンテコステ)とは、聖書の使徒行伝の以下のような記述で、
『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然,天から、激しい風が吹いてくるような 響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。 
すると、みなが聖霊に満たされ、 御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。』
という現象を指すもので、
その特殊性から、キリスト教界でも、「信仰の在り方を象徴的に描いたもの」とする派と「聖書の記述そのままの現象として受け止めるべきである」とする派と「聖書の時代にはあったかもしれないが、今の時代には存在しない」とする派と様々意見が分かれ、いまだに決着を見ない出来事なのです。

 ↓詳しくはこの本で…

 

私も若い時に、この『聖霊のバプテスマ』現象を体験して(本当に体験したかどうかはハッキリとは言えませんが…あせる)、以来一体これはどういうことなのだろうか…と、ずっと考え、答えを探し求めています。

 

私は、幼稚園の頃からキリスト教会に通い、毎晩就寝前は欠かさずお祈りをしていたのですが、ある時日本語でベラベラしゃべる祈りに違和感とダルさを覚え、心の赴くままに好きなように祈ろうと、思った時に突如「エイレーネ」(後にギリシャ語で"平安、平和"という意味だと知る)という言葉が口から出たかと思うと、今まで聞いたこともないような言葉が口から溢れ出て来たのです。


頭は、とても冷静で第三者のようにその言葉に聞き入っていると、段々それが音楽のような音律になり、今まで聞いたこともないような美しい曲を歌い始めました。


それは、今までの日本語でしゃべる祈りと違って本当に楽しく心が解放され、あっという間に3時間位止まらず、とても心地良かったのを覚えています。


それだけなら、私が自分で適当に歌っているのだろうと、片付けるところなのですが、それを歌いながら人に手をかざすと相手が勝手にバタバタと倒れて行き、そのままグッスリ眠ってしまうのです。


本当に驚きました。 


ここで、強調しておきたいことは、これは、私自身に何か特別な力があるわけではなく、私の精神状態も何も変わったところはなく、恍惚にもならなければ神がかってるところも全くなく、本当にフラットで心のうちに何の変化もないものだということです。


でも、手をかざすと人がバタバタと倒れて行き、眠りから覚めると体の具合が良くなってるとのことでした。


私は、その時は熱心なクリスチャンだったので、この『聖霊のバプテスマ』現象は、キリストから来るもので、キリスト教の専売特許で、他の宗教やスピリチュアル的なものにはないものと思っていました…


でも、ある時、韓国で「癒しの技」を行う最も有名なキリスト教の牧師先生が、「この癒しの技は、何もキリスト教だけのものではなくて、この世界に普通にどこにでも存在しているものです。それをキリスト教でも使っているというだけの話です。」

と、言っているのを聞いて驚きました。


つまり、聖書の使徒行伝にある『聖霊のバプテスマ』現象は、広い意味でキリスト教に限定されたものではなく、どこにでも誰にでも起こせ得る現象なのだ…と、いうことになるわけです。


となると、益々これは一体全体どこから来るものなのか?


なぜ起こるのか?


仕組みが知りたくて仕方なくなりました。


つまり、その現象を表す「数式」を知りたい、と思ったのです。


色々訪ね歩きましたが、答えは得られませんでした。


とある宗教にその答えがあると期待を寄せましたが、結局はわかりませんでした。


恐らく、スピリチュアルや宗教的な側面からは、語ることが出来ないものなのではないでしょうか…


しかし、最近この『聖霊のバプテスマ』現象の謎を解くヒントになりそうな動画を見かけました。



波動治療で側弯症の女性の治療をしている動画なのですが、その時治療に使われたキーボードの音律が、私が『聖霊のバプテスマ』?を受けた時に口から出た音律と全く同じだったのです。


嬉しくて、動画に合わせて共鳴しました。


ゲロゲロゲロゲロ…


やはり、ここでも秘密は「波動」にあるような気がします。


これからも、「波動」を通してこの現象の謎を探って行きたいと思いました。