2000年、プーチンさんが大統領就任当時、あまりにも早いスピード出世だったため、日本でも米国でもプーチンさんの情報がなく「あれは一体誰なんだ驚きあせる」と右往左往したといいます(副市長からわずか6年で大統領に!びっくり)。


そんな時、日本の外務省から「どんな人物か報告せよ」との訓令が下りアタフタしたという人物がいました。


ロシア、サンクトペテルブルク元総領事の玉木功一さんです。


玉木さんは、1995年、「若手有望議員を日本に招いて交流を図る」という外務省の「先進国招聘政策」の枠に当てはまる人物を探していて、当時まったくの無名だったプーチンさんに白羽の矢を立て推薦したという…図らずも思いがけない大ヒットを飛ばした人物です。

 

なので、プーチンさんに関して何の知識もなかった外務省は就任4年前にプーチンさんを推薦し、日本に招聘した玉木さんに情報を求めたそうなのです。


でも、玉木さんの当時のプーチンさんの印象はあまりいいものではなかったようで…


プーチンさんはとても無愛想で誰とも話さず、いつも睨むようにその場の様子をジッと観察していて何を考えているのか全くわからない…そんな人だったといいます。


ではなぜ、そんな人物を玉木さんは外務省に推薦したのでしょうか? 


プーチンさん自身も、後に「なぜ日本が私を招待…?」と、大変驚き戸惑ったと語っています。


玉木さんは、プーチンさんが柔道を通じて日本文化に親しんでいたことも、KGBであったことも何も知らなかったといいます。


玉木さんが推薦するに当たって、まず考えたのは、推薦するのならモスクワではなく、「サンクトペテルブルクの人間」をということだったそうです。



サンクトペテルブルクは、ロシアの中でも最も外資を引き入れる「西側に開かれたところ」で、玉木さんは、近代化されたこれからのロシアを担っていくのは必ずサンクトペテルブルク出身者であると確信していたそうです。


そして、そのサンクトペテルブルクの近代化に貢献していたのが市長よりも市政を仕切っていた影の実力者「灰色の枢機卿」と呼ばれるプーチン副市長だったので、日本招聘枠にプーチンさんを推薦した…ということらしいです。


↑副市長時代のプーチンさん

当時、現地日本で来日したプーチンさんに対応した職員によると、プーチンさんの初来日は「異例づくし」で、その行動はとても奇異に感じられたらしいです。


例えば、訪問先に「ロシア国旗🇷🇺を掲揚しないで欲しい」と頼んだりして驚かせました。


そんなことを要請してきたのは後にも先にもプーチンさんだけだったそうです。


当時、外国からの訪問時にその国の国旗を掲揚すると、周辺の警察関係者から「誰が来たのか」「どこを見学したのか」「出来れば事前に照会して欲しい」とうるさく言われたそうで…


プーチンさんは、恐らくそれを知った上で訪問先に「国旗掲揚辞退」を要請したのではないか…と、語っていました。


その後の質問内容も他の国の訪問者ではあり得ないほど隅々まで知り尽くしていて、その入念な下調べに一同驚いたそうです。


大阪にある港湾局を訪問した時、プーチンさんは、車ではなく、通訳の女性1人を連れてトコトコ歩いてやって来てサッサと建物に入って来たといいます。


あまりの素っ気なさに、出迎えた人もはじめは気がつかなかったほどだったそうです。


車でなければ、恐らく地下鉄に乗って駅から徒歩でやって来たと思われ、職員を驚かせたといいます。(大阪の地下鉄に乗るプーチンさん!想像絶する風景!ガーン)


出迎えた職員が愛想よくロシア語で挨拶してもプーチンさんは、一言挨拶を返しただけで無愛想にエレベーターに乗りこみ何も話さなかったそうで…


普通なら、「ロシア語をどこで覚えたのか?」とか、話が弾むはずなのに、全くそういう雰囲気ではなかったそうです。


局長室に通され、いきなり「時間がない」と話を切り出し、勧められた見学も全て断り、笑顔も冗談も一切なく、小一時間で、せかせかと帰って行ったということです。


「こんな訪問は初めてだ」と、職員は皆、面食らったそうです。


当時対応した職員は、大統領として再来日した際の柔道の山下さんとの優しさ溢れるエピソードを見て、初来日時のプーチンさんとのあまりの差に「同一人物と思えない」と、驚いているのだとか。


これは、どういうことなのでしょうか?


プーチンさんは、気配りと優しさの塊のような人で…

 

プーチンさんと会って、その人柄に触れた人は、皆ハートを鷲掴みにされ虜になってしまうのだそうですラブ


なので、特に初めて訪問する所には並々ならぬ神経を使うはずで…


それなのにこんなにも悪印象を与える感じの悪い対応をするとは…信じられません。


日本なんて小さい国だからバカにしたとか…?


或いは、日本に何か失礼があったために怒ってしまわれたとか…?


やはり「灰色の枢機卿」と呼ばれるだけあって、得たいの知れないダークな一面が出ちゃったのかな…


色々考えていると、ある時「ハッ!」と、思い当たる事がありました。


プーチンさんが初めて日本を訪問した1995年は『阪神・淡路大震災』が、起こった年です。



プーチンさんが訪れたのは、震災の約1ヶ月後の慌ただしく混乱の最中の日本で…


気配りの塊のようなプーチンさんが、その事に配慮しないわけがない、と思われました。


なので、勧められたイベントも断り、誰のことも煩わせず、迷惑を掛けないように、行きも帰りも地下鉄に乗って1人トコトコ歩いて訪問したのではないでしょうか?


そして、早々に引き上げる…


現に、プーチンさんの訪問を受けた大阪港湾局の局長は、「震災でテンテコ舞いだって時に、なんだって視察なんてやって来るんだ!」と、混乱していたそうで…


それを見越しての気遣い !?


だから、会話もそこそこにすぐ引き上げたのではないでしょうか?


でも…


それならそうとそう言えばいいのに~チューあせる


も~! 不器用なんだから~汗


でもそういう配慮を相手に押し付けがましく言わないで、黙って去って行くところがプーチンさんのカッコいいところなんだよな~爆笑あせる


自分がどう思われるかなんてどうでもよくて、まずは相手の事を第一に考える優しさ…


シビレるな~照れ


↓プーチンさん、ほんとはこんな感じだったのかも!?(笑)




 ↓この本より書かせていただきました