「ブチャと同様の殺害や拷問がハリコフ州イジュームで行われていた」と会見でロシアを非難するブチャのフェデルク市長。(2022年9月21日)



ブチャで起こった民間人の大量虐殺…


日本を含めた西側の報道では、「ロシア」の蛮行とされていますが、果たして事実はどうだったのでしょうか?キョロキョロ


「ブチャの大虐殺」を行ったのは、ロシア軍なのか?ウクライナ軍なのか?


まるでミステリー小説…キョロキョロ


「ブチャの事件はこの戦争の正念場だ」と、コンソーシアム・ニュースのジョー・ローリアさんもおっしゃっていましたが、ブチャの事件でのウクライナ軍の虚偽行為が崩れれば、他の事件もなし崩し的に崩壊し、真実が明らかになっていくのではないでしょうか?キョロキョロ



この「ブチャの大虐殺」事件…半年程前の話になりますが、私には今もってどうしても引っ掛かる「あること」があります。


それは…

↓この少女の証言…


アナスタシアさんによると最初に来た兵士はそれほど残酷ではなかったが、その後に来た兵士たちは非人間的でした。」

↓この記事より

「近付くと殺す」墓地に埋葬すら許されず…遺体には“残虐行為”の痕 ブチャで何が起きていたのか


これに似た証言は他にもあって
はじめにいたロシア人は食べ物とかをくれていい人たちでしたが、後から来た年配のロシア特殊部隊はとても乱暴で言葉も汚く残忍でした。」と、言っているブチャ市民もいました(すみませんショボーンどの記事かわからなくなってしまって…見つけ次第貼り付けます。)


後から来たロシア兵は残酷だった」


つまり、ブチャ市民の証言によると、この「後から来たロシア兵」というのが大虐殺をした、ということらしいのですが…


この証言は、しばしば「ロシア軍がブチャ市民を虐殺した」と主張する方々の証拠として使われ、「初めに来たロシア軍は確かに虐殺をしていなかったかもしれないが、虐殺をしたのは後から来たロシア軍がやったものだから。」と、ブチャ市民の証言をそのまま鵜呑みにして、

ロシアを非難しています。


でも…


「後から来たロシア兵」ってなに?キョロキョロ 


調べても調べてもその事実を裏付けるようなニュースはどこにもありませんでした。


このブチャ市民が証言する

「後から来たロシア兵」って何だろう…不安?


ロシア軍が一度離れてからまた戻って来たということ?キョロキョロ


私の頭の中にこの言葉が繰り返し引っ掛かかり、長い間どうにも違和感が取れませんでした。




この事件は、様々な出来事がとても複雑に入りくんでいて、とても分かりにくいので、ちゃんと理解するために、まずはニュースを時系列でキチンと整理してまとめてみることにしました。


すると、色々な事実が見えて来たのですひらめき気づき


日付がとても重要…


~「ブチャの虐殺」日付ごとにまとめてみた鉛筆時計

虐殺は、"いつ"  "だれが " 行ったのか?


2/27(日) ロシア軍ブチャに入る

報道では、この間(ロシア軍のブチャ在留期間2/27〜3/30)にロシア軍による虐殺があったとありますが、これは明らかに虚偽です↓


【検証】 ウクライナ・ブチャの住民虐殺 衛星画像がロシアの主張を否定

NYタイムズが3/19に撮影されたとされる衛星画像を4/4に初めて報道


なぜ20日以上も報道しなかったのか、それだけでも十分胡散臭いキョロキョロ

3/19に撮影されたとされる↑この衛星画像(それにしてもキレイに等間隔に並んでますね〜)

この写真は、専門家チームによって3/19ではなく、4/1に撮影されたものと判定されました↓
つまり、この衛星写真は、ロシア軍がブチャを離れた後に撮影されたものだったのですガーン

こういうウソをつくから物事がややこしくなるんですよね!
まったく!プンプンDASH!


3/30(水) ロシア軍、ブチャを離れる

3/31(木) ブチャ市長、ロシア軍撤退宣言

ブチャ市長のアナトリー・フェドルクが、「ロシア軍撤退」を宣言


「この日は、ウクライナ軍によるロシア占領軍からの解放の日として、ブチャとブチャのコミュニティ全体の輝かしい歴史に刻まれるでしょう。」

と、笑顔で発言。


にこやかに笑う市長から大虐殺の話は一言も報告されない

つまり、この時まで、まだ「大虐殺」は起こっていないということ。

(もし、市長の周りに何百という死体が散乱していたら笑顔で「輝かしい歴史」とはとても言えないので。)


市長の発言からわかること…

・ロシア軍は確かに3/30に完全にブチャを離れた

・大虐殺があったのは市長のメッセージ後

(Wikipediaではブチャの虐殺は2/27-30となっていますが(どうしてもロシアがやったことにしたい!?)、この事実からすると間違いなのでは?キョロキョロ)


ウクライナ・ブチャの市長が語った「虐殺の街」の本当の惨状

↑この市長のインタビューで市長自身が、民間人の遺体を目撃したのは3月31日。

とありますが、それならばなぜ「撤退宣言」の時にそれを言わなかったのでしょうか?


おかしいですよね?キョロキョロ




そして…


ここから非常に重要な出来事が起こります驚き



4/1(金) アゾフ大隊ブチャ入り

ブチャ市議会のウクレンチヴァ議長がウクライナ国旗🇺🇦を背に軍服を着て、『これよりウクライナ軍による掃討作戦を開始すると宣言。

ウクレンチヴァ議長

↓この動画より画像お借りしましたお願い


つまり、ロシア軍がいなくなった後にウクライナ軍がやって来て、ロシアに味方したウクライナのブチャ市民に報復した…というのが今回の「ブチャの大虐殺」真相のようです。


※青い印(青はウクライナの識別)がなかったり、ロシアから支給された食べ物の箱を持っていた…というただけで56された驚き


アゾフ大隊のセルゲイ・コロトキフが虐殺の様子の動画を投稿↓
「青の印のない住民がいた。打っていい?」
「もちろん」

「お前はスパイだな!」


4/2(土) ウクライナ軍の掃討作戦が始まると報道される

キエフのシンクタンク『レフトバンク(米国とEUが資金提供する)が 、『アゾフ大隊と特殊部隊連隊SAFARIは、ウクライナ軍によって解放されたキエフ地方のブチャ市で掃討作戦を開始した街から破壊工作員やロシア軍の共犯者は一掃されつつある』と発表(ニューヨーク・タイムズより)。


これだけでも、大虐殺を誰が行ったか明明白白プンプンDASH!


自分で言ってるし… 




そして…


冒頭に書いた『後から来たロシア兵』問題ですが…


この、まとめでわかることは、ブチャに来たものは


・初めに来た兵士

・後から来た兵士


の、2つだけということになります。


・初めに来た兵士⇒「ロシア兵」

・後から来た兵士⇒「ロシア兵」「ウクライナ兵」


ということがわかり…


市民の証言から残虐行為を行ったのは

「後から来た兵士」

なので…


残虐行為を行ったのは後から来たウクライナ兵ということになります。



それにしても…


1つ不思議なことは、他のブチャ市民が、

「初めにやってきたロシア兵、後からやってきたロシア兵」

と証言しているのに、なぜかアナスタシアさんだけは、長々と「ロシア兵の蛮行」を訴えているにも関わらず、肝心なこの箇所では↓

最初に来た兵士後から来た兵士」と、どちらが誰なのかハッキリ言及していません。


恐らく…


「ロシアの蛮行」を長々伝える部分は、上の赤文字の言葉を守るための盾(カモフラージュ?)だったのではないでしょうか?


「最初に来た兵士、

後から来た兵士…」


ここで私たちに「おや?」と違和感を感じて欲しいと思ったのでは?


これは、本当の犯人が誰なのか何とか真実にたどり着いて欲しいという少女の必死の証言だったのではないでしょうか?


私も正直アナスタシアさんのこの言葉がなければ違和感を感じることもなく、ここまで調べなかったと思います。


ウクライナの人たちの証言は殺人者(ウクライナ軍)に脅されている人質の人たちの必死の「暗号」だと思って注意深く変換して見ていかないといけないのですね悲しい


ちょうどこんな感じ↓








参考記事お願い