最近は、大河ドラマの影響でブームの「鎌倉」ですが、この日も、朝からテレビで、「建長寺」の中継をやっていました。
レポーターが歩いて行くと、北条時頼によって作られた国宝の「梵鐘(ぼんしょう)」が…。
その横の小さな立て札にある漱石の句…
「鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺」
(「鎌倉での夏目漱石の足跡」より写真お借りしました。)
「あれ? どこかで聞いたことのある…」
と、思ったら正岡子規の
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
の俳句に、似ている…
正岡子規の句の方が後にできたそうなので、真似っこ?と、思いきや、テレビの中で、ご住職がおっしゃるには…
正岡子規と夏目漱石は親友で、漱石の「建長寺」の句を見た子規があまりのひどさにため息…
夏井先生よろしく、漱石にダメ出ししたそうです。
「法隆寺」の句は、子規先生が、俳句下手な漱石にお手本として詠んであげた句なのだそうで…
「俳句とはこうやって詠むものよ」(ジュリアスくん?)
なるほど~
漱石の句のどこの何がいけなかったのか素人の私には皆目わかりませんが、この2つの句の知名度から考えると、やはり子規の句の方が秀でているのでしょうね
私は、暑い夏になると、ふと思い出す子規の句があります。
「君を送りて 思うことあり 蚊帳に泣く」
子規の松山中学時代の同級生、秋山真之が、米国留学出発前に病臥(びょうが)中の子規を見舞いに訪れ、そのあと詠まれた句だそうです。
子規は、将来は首相になる大望を描いていたほどの野心家のエリート。
それが病により夢を諦めざるを得なくなり、挫折感と惨めさでいっぱいのところに、旧友が華々しく米国へ旅立つ姿を見せつけられ、さぞかし悔しく悲しい思いをしたことでしょう。
上記の句は、その思いを詠んだ句でした。
私の姉は、正岡子規が大好きでした。
ある日、この句をどう思うかと姉に訊ねられ、
「友達が帰っちゃって寂しいな~と思ってるの?」
と、無邪気に私が答えると姉は、
「papiponちゃんは、いーわねー」と、笑っていました。
姉は、病に臥せる子規と、病気の自分を重ねて見ているようでした。
そして、この「いーわねー」の言葉の中には、病の種もなく自由な日常を謳歌している私が羨ましいという意味が込められていたのだと思います。
姉が亡くなってから30年にもなりますが、子規の句と共にそんなことを思い出します。