前回、土偶は食べたものを擬人化したフィギュアで「ゆるキャラ」みたいなもの、と書かせて頂いたのですが…↓
何だかまた新たな疑問が湧いてきてしまって…





前回の記事の中で「土偶を作った縄文時代の人々のデザインセンスに脱帽!」と、書いたのですが…
そうなると、そもそもこれは誰のデザインなんだろう…
という疑問が湧いてきました。


不思議なことに、例えば遮光器土偶とか結髪土偶見ても日本全国(主に東北地方ですが…)だいたい同じ形…
誰かがこういうデザインにしよう!と、決めて日本全国に「御触れ」を出したの?命令したの?
そうでもしなければ「みんな同じ」は、おかしい?

例えば、私が今、何人かの人に「里芋の精霊を作ってください」と、言ったとき、絶対三者三様、様々なスタイルの土偶が出来上がると思うんです。
1つとして同じものは出来ないはず。
それが、日本全国一斉にだいたい同じ形ってどゆこと?

考えられる結論としては…
縄文の人たちは空想で作っているのではないのでは?
…ということ

つまり、実物をちゃんと見て作っているのではないか !?と、思うんです。
昔の人って、現代の私たちには考えられないようなものが平気で見えていたようで…
例えば、昔の人は「黄色い声」とか「真っ赤な嘘」とかに言われるように、言葉や音にも色が見えていたそうで…(これを初めて知った時とても驚きました。)
大好きな
武田信玄公の「運気の書」の記録にもありますが、信玄は空に様々なもの(なに?って話ですが…)が見えていたらしいです。(それを頼りに戦をしていた。)


なら、もっと昔の縄文の人たちが、「精霊」ぐらい見えていてもおかしくないハズ !?



実物を見て作っているからみんな同じなのは当たり前なのかも…?

…と、色々妄想してしまいました



他にもっと簡単な理由があるのかもしれませんが…