私は、4月の入学式の季節になると、小学校でピカピカの1年生たちをを眺めながら、満開の桜の風景とは対照的に、どんよりと心の中でいつもこう呟いていました。
「家畜養成所へようこそ…」
2年ほど前まで、私は小学校の図書館で図書指導員をやっていました。
1年生の指導補助時代を含めると、8年間、また私の息子たちのPTAとして8年間、合わせて16年間ほど同じ小学校にいたことになります。
毎年、期待と不安を胸に緊張しながら座っている1年生を見て、これから彼らに起こる様々な「理不尽」や「試練」を思い、胸が締め付けられていました
小学校は、皆さんの想像を遥かに超えて、ひどい状態になっている、と私は思います。
先生の質が10年位前から急激に下がって来ているような気がするのです(一校しか見ていないのにこんな風に言い切るのもなんですが…)。
なぜなのかはよくわかりません。
でも、少なくとも16年前は、子どもに対して使命感を持ち、愛情深い、心ある先生方が大勢いました(うちの学校だけの話かもしれませんが…)。
皆、全力で教育に取り組み、ベテランの先生も新米の先生も自分たちなりに工夫して子どもたちに愛情を注ぎ指導にあたっていました。
放課後、生徒たちが下校したあと先生たちでホッと一息お茶を飲む時間があるのですが、その時もその日1日の子どもたちの様子を話して、「○○ちゃんがこんなことしてさー」、「そーそー!かわいいのよね~」などと、大声で笑ったり悩みを分かち合ったりして…、端で見ていてもとても微笑ましい光景でした。
個性的でユニークな先生が多く冗談も飛び交い、本当に楽しい職場でした。
当時、私の働いていた小学校は都内でも特に「教師の天国」と呼ばれるような所で、保護者も子どもたちもとても好い人ばかりで問題もなかった(うるさくない、手がかからない)ので、自然と先生方もリラックスしてとても和やか雰囲気の学校でした。
まさに「のんびり、ほのぼの」した雰囲気の中、子どもたちものびのびイキイキしていました。
それが、ちょうど10年位前のことですが、1人の若手の女性教師が小学校に赴任してきました。
テキパキと仕事もそつなくこなし、しっかりとした指導力で子どもや保護者にも無条件に信頼されていましたが、私は何か今までの先生とは確実に違う違和感をその先生に抱きました。
その先生のクラスの図書の時間、私が読み聞かせをする前に少しざわついていたのですが、先生が3回手をたたくと話をやめ、2回たたくと手を膝に乗せ、1回たたくとみんなこちらに顔と体を向けました。(顔だけ、体だけ→✕、足先まで必ず向ける)
そして、先生は、「さ、どうぞ。」と、得意満面で私に手を差しのべました。
その他、先生に決められた様々な号令に遅れることなく反応する子どもたち…
ゾッとしました。
保護者は感動し、「素晴らしい先生」と、褒め称えましたが、私はそれを見て、まるで「よく飼い慣らされ、芸を仕込まれた動物」のような感じがしてとても気持ち悪くなりました。
そこにいくまでの子どもたちへの厳しい調教の過程を思うといたたまれません。
まるで軍隊です。
ちょっとでもはみ出るのは許されません。
はみ出ると直ぐに矯正されます。
その先生の印象は表面的で、まるでAIロボットのような心のない感じがしました。
そして、他の先生とは違った何かを背負ってやって来てるような印象でした。
たまたまその先生だけなのだろうと、思っていたら次の先生はもっと違和感がありました。
前のAI先生は型通りに「いい先生」をやっていて、指導もキチンとしていたのでまだ良かったのですが、次にやって来た先生たちはただ厳しくするだけで、「いい先生」のフリすらせず、最低限の指導もせず、能力、知識もなく(常識も漢字も言葉も何も知らない、悪口は言う、挨拶はしない、ただ偉そう…等々)、(先生という前に人としてどうなの?)と、問いたくなるような人たちでした。
放課後は、聞くに耐えない子どもと保護者の悪口。
「子どもなんて親なんて○○しとけばいいんだ。」
と、笑って無作法にバカにしていました。
心が凍りました。
そして、何も言い返せない子どもたちに対して、先生たちは、いつも本当にどうでもいいつまらない粗相に言いがかりをつけ、理不尽に大声で怒鳴り付け、(ここまで言うか…)という位、心を抉(えぐ)るような言葉を投げつけました。
全く大人の世界で言う「パワハラ」「いじめ」です。
チワワ犬のように、か弱く小さな子どもたちが、ヒグマのような先生たちに渾身の力を込めて大声で怒鳴られている姿は見るに耐えません。
子どもたちはみんな泣いて怯えてます。
子どもたちは、怒られないようにいつもいつもビクビクしていました。
ある時、一年生の男の子が涙目になって私のところへ震えながら来て「返す本を忘れました。みんながpapipon(私)先生なら怒られないからpapipon先生に言いに行けって言うから…」と、しゃくりあげながら言いました。
私は、たかが本ぐらいのことで、幼気(いたいけ)な子どもをこんなにも怯えさせる先生たちに強い怒りを感じながら「大丈夫だよ。」と、その子を落ち着かせました。
子どもにとって「返却本を忘れる」ということは「死」を意味する位重いことなのです(大袈裟でなく)。
先生から大変な目に遭うからです。
しかし、その後のことでした。
その子の担任が怒り心頭で私の所へ来て「papipon 先生! あなた子どもに「本なんて返さなくていい」って言ったそうですね!」と、言いました。
聞けば、先ほどの子が、先生に本を忘れた事がバレて酷く怒られ、私が「返さなくてもいいと言った」とつい苦し紛れにウソを言ったらしいのです。
本なんかよりその子の心が守られる方が大事なので「言いましたよ。別に忘れてもいいじゃないですか。」と、言ったら散々お説教を喰らってしまいましたが、私はそれで良かったと思っています。
その子の言葉を私が否定したら、その子は「嘘つき」としてまた更に先生から酷い目に遭うのは明らかだったからです。
まあ、本なんてどうでもいい、と思っているのは事実ですから…
本なんかよりも子どもたちの心の方が大切ですが、先生たちはそうは考えません。
少しのミスやはみ出し行為は重罪で鬼のように許さないのです。
異常です。
やり過ぎです。
この人たちは、こんなにも子どもの心を傷つけ怯えさせてまで、いったい必死に何を守っているのだろうかと、しばしば考えてしまいました。
でも、抵抗する術を何も持たない子どもたちは、先生の暴言、理不尽の嵐をただ黙って受けているしかありません。
守ってくれる人は誰一人いないからです。
私は『畜産動物』が人間によって酷い虐待を受けている動画をよく観るのですが、受ける印象はあれと大差ありません。
先生たちは、暴力こそ振るいませんが、子どもたちをまるで『家畜』や『モノ』のように乱暴に扱います。
その様子は目を覆いたくなるばかりです。
恐らく、保護者は決して見ることの出来ない光景です。
(余談ですが、これがアスペルガーや発達障がいを持ったお子さんだともっと悲惨なことになります。
まるっきり扱いは家畜同然です。
親御さん方は、知らないとはいえ、なぜこんな酷い場所にわざわざ大切なお子さんを送り込むのだろうかといつも心を痛めて眺めていました。)
たまに新人の先生がやって来て、はじめはとても『普通』な優しい感じで子どもたちに接していたので(あー、この先生は大丈夫かな…)と、思って眺めていると、徐々に人格が豹変して、すぐに同じような心なく子どもに当たる『AIロボット先生』になってしまうのです。
何があったのでしょうか…
先生たちがいつも大きなストレスを抱えているのは知っていたので、多少子どもたちに当たるのは仕方のないことなのかも…と、何も言えずにいたのですが、よく観察しているとストレスだけではなく、先生たちはいつも何かに怯えるように子どもたちを頭ごなしに叱り、押さえ込み、必死に型にはめようとしている感じでした。
そして、しばらくすると、あっという間に職員室は『AIロボット先生』だらけになりました。
気持ち悪かったです。
もう、以前のような「情」とか、「心」とかの話は全く通じなくなりました。
「手弁当」なんて死語です。
その原因が何なのか…
私なりに考えてみましたが、それは多分先生方の中で「優先順位が変わった」ということではないのかな…と思いました。
昔の先生方は、優先順位の一番は常に「子どもたち」でした。
当たり前の話と思われそうですが、今は全く違います。
今の先生方の優先順位の上位は、「組織」と「上司」です。
そして、「子どもたち」なんて最下位にも入っていないかもしれません。
皆一様に「組織」と「上司」に怯えているように見えました。
先生方の人事権の全ては校長が握っていて、校長に逆らえばとんでもない「へき地」に飛ばされます。
私の知っている副校長先生は、校長に意見したために都心の小学校から一転、2時間もかかる地方の小学校に転任させられてしまいました。
だから、先生方は何も言えずに独裁者のような校長に従っています。
でも、昔の先生方は違いました。
とにかく怖いもの知らずで上司(校長)に平気でなんでも物を言い、行動力もあり、元気でたくましかった
校長に平気で意見し、飛ばされようが屁でもない…
10年前、うちの小学校で校長対先生方で大きく揉めたことがあり、心ある先生方は全員へき地に飛ばされて行ったという痛ましい出来事がありました。
見かねた保護者が署名を集め、教育委員会に訴えたのですが、聞き入れられず、大勢の先生方は泣く泣く他校へ転任させられて行きました。
子どもたちにとっても保護者にとってもとても辛い思い出です。
でも、先生方はへこたれず戦いました。
それも、全ては子どもたちのため。
今でも語り草になっています。
しかし、今の先生方は全く違います。
校長が黒と言えば黒、白と言えば白のイエスマン。
私も校長に何度も子どもたち無視の訳のわからない意味不明な理屈を押し付けられたかわかりませんが、先生方に訊ねても「校長の言う通りに」の一点張り。
校長が黒と言えば黒なのです。
子どもたちなんてどうでもいい。
また、今の先生方は組織の長である教育委員会の仰せの通り以外は決して動かない常に指示待ちのロボットたち。
コロナが流行り始めた頃、私はエタノール消毒液で図書館の本を一冊一冊、椅子、机に至るまで全部拭いていたのですが、「上から指示されていないことはしないで」と、先生に怒られました。
正直本当に下らないと思いました。
「たかが本の消毒くらいなんですか?
じゃ、指示を待っている間、子どもたちがそのせいで感染したら先生はどう責任を取るおつもりなんですか?」
と、抗議しました。
とにかく、やれと言われたこと以外やるなの一点張り。
一事が万事そうでした。
関係性はわからないのですが…
『日教組』が元気で『赤旗新聞』が平気で職員室に積まれているような時代は、なぜか先生たちは本当に強くてたくましく元気だったような気がします。
『日教組』への加入者数が減り、力が弱まり、『赤旗』が潮が引くように職員室からなくなると同時に、へなちょこAI先生が増殖してきたような気がします。
先生方が共産党支持者であることの子どもたちの教育への影響は、様々功罪が問われるところではありますが、昔の先生方には常に「高い志を持って子どもたちのために戦う」という気概があったことは評価できるのではないかと思っています。
大げさではなく、「子どもたちへの教育」は「明日の日本の未来」がかかっているとても大切なものだと思います。
でも、現状は誰も監視が出来ない隠れた場所で先生はやりたい放題です(もちろん、心ある先生もいらっしゃるというのは大前提ですが…)。
本当に、そういう意味で子どもたちは可哀想な「畜産動物」と同じです。
何も抵抗出来ない子どもたちを、型にはめ、自由を奪い、常に考えず、大人しく言うことを聞くだけの動物に仕立てる。
まずは、心を徹底的に破壊し、一言の口答えも許さず大人しく命令に従わせる。
そして、それを「いい子」として洗脳する…
それが、子ども「家畜化計画」です。
学校は正にその家畜の「養成所」と化しています。
恐らく…
これは、全くの私の想像なのですが、昔の先生方が染まっていた共産主義よりも、もっと大変で、しかも全く違う恐ろしいものが学校を支配しているような気がするのです。
上手く言えないのですが…
日本人をいいように操りたいのなら、やはり「教育」を掌握するのが一番だと思うのです。
私は昔、仕事で「フリースクール」を取材したことがありましたが、学校選択にしても、ワクチンにしても、これからは大切な子どもたちを守るために親御さんが様々な選択をして行かなければならない時代になってきたのかもしれないな…、と思いました。
正に、「のほほんと何も考えずに生きて行く時代は終わった」ように思います。